ピンと空気が張り詰める。
「よくもぬけぬけと私の前に姿を現せたものね」
「再びお会いできてこの十夜、光栄の極みですよ。お変わりなく・・いえ、また一段とお美しく
なられたようで−・・」
「御託はいいわ、さっさと用件を話しなさい」
ぴしゃりと言い放つと、十夜は楽しそうに肩を揺らした。
「貴女のそういうところも好きですよ、月夜姫」
いちいちその話し方が、仕草が癪に障る男だ。―・・そう思った鎖月は眉間のしわを更に深
めた。
「私どもがここまで足を運んだのは他でもありません−・・お迎えにあがったのです」
「迎え?」
「えぇ。共に参りましょう」
「・・・・・・・・・・あなたは馬鹿なの?私が素直についていくとでも?」
「えぇ、きていただけると思っていますよ」
何処かうっとりとした感じで語る男に鎖月は薄ら寒さを覚えた。
答えず厳しい顔でじっと対峙している鎖月を尻目に十夜は一人で話を続けた。
「・・・この里を探すのも一苦労でしたよ。山城のお屋敷にいらっしゃらなかったのでここに
いらっしゃることは間違いないと核心していたのですが」
「いま・・なんと?」
鎖月が反応を見せたことが嬉しいのか十夜は穏やかに微笑んだ。
「何か、ございましたか?」
「今なんといった?山城の・・あの屋敷にいったと・・?」
「えぇ」
にっとその唇が上がる。
「お伺いいたしました。―・・美しい屋敷でしたが・・・・・・少し勿体無い事をしてしまいまし
たね」
「っ!?」
この男―・・っ
「あぁ、そうでした。まだお返事を聞いていませんでした」
笑顔を保ち続けるこの胡散臭い顔を今すぐ壊してやりたいと思った。
「―・・勿論、来て頂けますよね?」
龍雪がこの場にいれば"人間風情が・・"と真っ先に怒りを形にしていたことであろう。
有無を言わさぬ口調に、鎖月の中にある月夜姫としての矜持が怒りをもって鎌首をもたげ
かけた。だが―・・
「・・・・・・・・いいでしょう。その招待に応じましょう」
鎖月の返答に十夜は満足気に微笑んだ。
「ありがとうございます。それでは―・・」
「待ちなさい。その前にその子達を帰して頂戴」
そうしなければ動かないという様子の鎖月に十夜は―・・”まだだめです”と首を横にふった。
「まず先にこちらをつけさせていただきたい」
そういって取り出したのはひとつの腕輪。
銀を土台に赤珊瑚の装飾が施されている。
「”保険”というものですよ」
その笑顔にある種の嫌悪感を覚えながら無言のまま右腕を差し出した。
カチリ―・・と十夜の手によってそれがはめられた瞬間、体全体に痛みが走った。
手首から全身の血管を伝って静電気が流れていく・・・そんな感覚。
(力が―・・)
「っ・・・・・・・・・・・・・・文野、こちらへいらっしゃい」
「うっ・・うぐっ・・・つきっ・・さまっ・・・ひっ」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら男たちの手から開放された文野は鎖月の腕の中へと駆け
込んだ。
そんな文野を四巫女と共に腕の中でそっと抱きしめる。
「ごっ・・・ごめっなさいっ・・・うっ・・・」
「いいのよ、泣かなくていいの文野。男の子でしょう?そう簡単に泣くものではないわ」
「つきよさまぁっ・・」
文野につらえて四巫女も泣き出してしまった。
「大丈夫。二人ともちゃんとお家に帰してあげるから。だから泣かないで、ね?」
よしよし、とあやしながら鎖月はその耳元に顔を近づけた。
「―・・文野、四巫女、よく聞きなさい。私から離れたらすぐにあの洞穴まで走りなさい」
言葉に力をこめる。
言葉は言霊。力をこめて聞かせる言葉は泣きじゃくる幼子の頭にもしっかりと刻まれる。
二人の頭をなでながらちらりと周りを見やる。
黒服の男たちがわずかにみじろきして―・・その胸内に隠しもっていたものを手にしはじめ
ていた。
(悪い奴等のやることなんて大概決まってるわ。まったく―・・そういうのだけはいつの時代も
律儀に王道を走ってくれるんだから)
王道にそれば都合よく誰かが助けてくれる―・・のだが、それだけは今回は期待できそうに
ない。
自業自得といえばそれまでなのだが・・
「ひっ・・・でもつきよさまは?」
「言ったでしょう?私は大丈夫だって。だから後ろを振り返らずに走りなさい。そして龍雪たちに
伝えて、それとこれをー・・」
「もう、宜しいですか?」
十夜の先を促す声にピクリと片眉を上げると鎖月はもう一度二人を抱きしめた。
「全く・・あなたは思ったより無粋な男のようね。―・・まぁいいわ。あなたたちもこんな所で長居
する気など毛頭ないのでしょうからね」
呆れ気味に溜息をつきながらゆっくりとした動作で立ち上がった。
―・・と、同時に双子は走り出す。
「待て!」
男たちはいっせいに黒光りする銃を取り出すとその銃口を双子に向けた。
だがその先に鎖月が立ちはだかって壁になった。
「待つのはお前たちのほうよ!!」
サイレンサーつきの銃身から飛び出した弾は見えない壁によって次々とはじかれた。
「ちっ―・・!!」
銃は無意味だと判断した男たちは再び双子を捕らえようと走り出したが
「行かせるものか!!」
「!!!!!!」
鎖月の体から力があふれ出る―・・またしても見えない力によって男たちは後ろへと弾き飛ば
された。
その間に幼子たちは穴の中へと―・・何人も侵すことのできない月夜の結界の中へときえて
いった。
(よかっ・・・)
視界が歪む。
足腰の力が抜け、体の均衡が崩れると鎖月の体は大きく後ろへと揺らいだ。
だがその身体は曼珠沙華の花畑に抱かれる前にしかと抱きしめられていた。
「私たちにとって月夜の里の者は色々と厄介でしてね。その後継となる芽は早めに摘み取って
しまいたかったのですが・・・逃がしましたか」
その言葉にふっと鼻で笑ってやった。
「無茶をしましたね。”呪”をかけられ"力"を制限されているばかりかそれを使おうとすれば激痛が
走るというのに・・」
「えぇ・・・・おかげで”空っぽ”だわ」
「あれだけの力が使えるのであったなら貴女お一人で逃げることも可能だったというのに―・・
お優しいですね」
十夜の腕に抱きとめられているのが不快でそこから抜け出そうと身体に力を入れようとするが
指先一つとしてピクリとも動かない。
「無茶はなさらないでください」
「ふっ・・・困ったわね。それではこのままあなたに荷物のように運ばれるということなのかしら」
「とんでもない。丁重にお連れいたしますよ」
十夜は鎖月を軽々と抱き上げると待機していた車へと足を運んだ。
「姫君にはこれから私の屋敷へと招待させていただきます」
「・・・・・・・・招待ではなくこれは立派な誘拐ではないかしら。こんないたいけな少女を誘拐して
どうしようっていうのかしらね、この変態は」
「さてどうしましょうか?―・・おや、そんな怖い顔をなさらないでください、冗談ですよ」
「あなたに冗談がいえるとは思わなかったわ」
鎖月の憎まれ口にふふっと楽しげに男は笑う。
「貴女に相応しいおもてなしをさせていただきますので、どうぞご安心を」
車の後部座席にゆっくりとその身体を座らせると十夜は遠慮なしにその横に腰掛けた。
「はっ―・・それはそれは。せいぜい期待せずに招待されるとしましょうか」
そこで、ふわっと鎖月を睡魔が襲った。
精も根も尽き果てた肉体が休眠を欲しているようだ。
まどろむ意識の中で考えた。
こうも簡単に敵とも味方ともわからない―・・いやおそらくは障害になるであろう―・・ものたちの
手におちるとは思ってもみなかった。
自分の迂闊さを呪う。
以前龍雪と交わした約束を思い出すと心が痛む。
"だから貴女は配慮がたりないのです”―・・と散々龍雪にお説教をくらう様子がありありと思い
浮かんでしまったのには苦笑せざるおえなかった。
(でも―・・)
横にいるこの男は私を知っている。"月夜姫"を知っている。
(何か・・思い出せるかもしれない)
危険な賭けであることは重々承知している。
枷はつけられたが今のところ自分の身に害はないし、この後も害を与えるつもりもないだろう。
ならば後は龍雪たちがくるのをまてばいい。
接触する際に多少の流血はさけられないだろうが・・・ここまできてこの人間たちに同情する必要
など一切無いし、少なくとも私の従者たちが人間に負けるなどということはない。
今しばらくは不本意ながらこの男の手に身をゆだねてやろう。
―・・そう心の中でほくそ笑むと鎖月はゆっくりと目を閉じた。
車が発進する。
黒塗りの車はあっという間に山の中へと消えていってしまった。
後に残ったのは紅葉よりも先に真っ赤に咲き燃える曼珠沙華の花畑。
わずかな風になびき寂しげな音とともに波を立てた。
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