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桜色の爪が動く。
ビィィン―・・ビィィンー・・
弦を爪弾いていく。
夜に響く音。
ただでたらめに爪弾いているだけなのに、その音はあたかもその旋律で奏でられる一種の
曲のように聴こえて来る。
ビィィン―・・ビィィンー・・
弦楽器特有の音が響いていく。
鎖月はあてがわれた部屋の縁側に座りながら、ただぼぉっと弦をはじいていた。
やがてそうしているのにも飽きてしまったのか、手にしてた"月琴"を横に置くと、全身の力を
抜くかのように息を吐き柱にもたれかかった。
もうこのまま寝てしまおうか、それとももう暫くこのままここでこうしていようか、考えあぐねて
いるとふと背後に気配が生まれた。
目だけ動かしてその姿を確認すると、鎖月は顔をしかめ、盛大に溜息をついた。
「―・誰が入っていいっていったの?」
「申し訳御座いません鎖月様。何度も声をお掛けしたのですがお返事がありませんでした
ので―・・」
「もういいわ」
彼の変わらぬ淡々とした口調に疲れたように鎖月は今一度嘆息すると先を促した。
「鎖月様、」
「”これからどうするか”でしょう?わかっているわ、もちろん。―・・”月琴”の残りを探すわ。
そうでしょ?」
「はい。」
宴が終わり、月夜(ツクヤ)たちが鎖月に差し出したもの―・・それは"月夜姫"の神器"月琴"
だった。
しかしそれは月琴であって月琴ではない―・・ただの器にしか過ぎなかったのだ。
"中身"のない"力"の宿らないそれはただの骨董品でしかない。
『何か特別な力が働いて"中の力"が外へと零れてしまったのでしょう。―・・その力を見つけ
出さない限り、我等は真に神器を取り戻したとはいえますまい』
そう話す龍雪の言葉に深く落胆する月夜たちの顔がよみがえる。
「鎖月様、わかっておいででしょうが我等には時間がないのです。―・・明日の朝、ここを発ち
ます。宜しいですね?」
「・・・・・・わかっているわ」
鎖月は唇をギリー・・と噛締める。
わかっている。一刻も早く"あちら"へ戻るためにも、そして失われた記憶を取り戻すためにも・・
それは鎖月自身が望んだことだ。
鎖月が望み、そしてそのために皆、行動している。
でも―・・
ビィーン・・ビィーン・・
響く音にはっと目を開けば横で龍雪が月琴を手に曲を奏で始めていた。
「変わらぬ音色です」
力が宿っていないためかかつての音に比べれば幾分かたよりないものがあるが、それでも
その音色は美しかった。
「・・・・・・えぇ、そうね」
懐かしい曲を弾く―・・故郷の歌が鎖月の頭に響く。
だんだんと望郷の思いがこみ上げてきて溢れそうになり―・・だがそこで鎖月はとめた。
ぐっと拳を握り締め何かに耐えるように立ち上がった。
「龍雪―・・止めなさい」
決して大きくはないが強い声にピタリと演奏が止まった。
「もう寝るわ。下がりなさい」
「・・・御意」
恭しく月琴を置くと龍雪は鎖月の命ずるままに部屋を出て行った。
鎖月は倒れこむように布団に入るとぎゅっと目を閉じた。
琴の音色は懐かしさを思い出させ―・・望郷の悲願を感じさせた。
早く早く。と。 帰りたいのだ。と。
そう、まるでそれは鎖月を責めたてているかのような声。
故に足を止めることは許されない。進むしかないのだ。
(私は立ち止まれない―・・でも)
それでも過去を懐かしんではいけないのだろうか?
"人間など"―・・と、彼は言った。
以前はそうではなかった・・・いや宮にいた頃は下界のことですら眼中にすらなかったのだろう
が・・
彼がそこまで"人"を嫌悪するにはやはり”千年前の何か”と関係があるのだろう。
それは私自身の過ちでもある。だが
”戯れ”―・・そう彼は言ったのだ。
八百年。約八百年という歳月を私は彼らと共に歩んできたのだ。
"傷ついた"私の側にいてくれた。私を"必要"としてくれた。
その"繋がり"を”戯れ”と言ったのだ。
(私が一番許せないのはそこよ―・・戯れなどと・・)
きっかけは確かにそうだったのかもしれない。―・・だがそれは友愛へと変わり親愛と成った。
彼らはこの秋津島での"月夜姫"の眷属も同然なのだ。
―・・龍雪のことだ。おそらくはそこが気に入らないのだろう。
(あの堅物のことだからその矜持が許さないのでしょうね。”人間と同列”ということが・・)
仮にも龍雪は天上人・・・それも”王”の従者なのだ。その本質は”神”そのものである。
神としての矜持―・・わからなくもない。だが、鎖月はそれを良しとしない。
ここにきてから半日と経たないというのに龍雪のお小言はいつもよりも二割増しだ―・・これでは
ただの八つ当たりではないか。
そう考えるとだんだんと胸の内に苛立ちがつのってきた。
(はぁ・・・・・もういいわ・・・なんだかとても疲れた・・寝ましょう・・・今はこれ以上何も考えたくない
もの・・)
考えることを止めよう。全ての思考を遮断して鎖月は夢の中へとおちていく・・・
*
夢を見た。
花が咲き乱れる宮の中に朗々と楽の音が響いている。
神無が二胡を弾(ひ)き、葉月が揚琴を弾ませ、冷禅が笛を奏で、龍雪が月琴を爪弾く。
そしてその中で私は謡う。
響き渡る4つの音に混じりあうように溶けあうように謡う。月の都の美しさを―・・
過ぎ去った過去に、確かにあった幸せな時間。
今はただ・・
ただこの甘くて優しい夢の中に浸ることを選んだ・・
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