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「もう―・・行かれますか」
車に乗り込もうとした鎖月の背中に御前の声が掛けられた。
その声はとても落胆しているようではあったが、悲しんでいるようには見受けられなかった。
鎖月は振りかえると今一度、御前の前まで足を進めた。
「えぇ―・・私は時を無駄に生き過ぎてしまった。それを取り返さなければいけない」
「はい。それは重々承知しております。―・・所詮私如きがお止めした所でお聞きしていた
だけるわけでも御座いませんでしょう?」
「えぇ、そうね」
「ならば、名残惜しゅうございますが、御方の御心に従うまででございます」
御前は深々と頭を下げるとその右手をすっと差し出しえきた。
「道中お気をつけ下さいませ―・・姫様、老いぼれの"最後"の頼みでございまする。別れの
握手をしていだけますか?」
「・・・・・・・えぇ」
そっとその皺枯れた手を握り返す。
"最後"と彼は言った―・・わかっているのだろう。
―・・もう会うことはない。コレが最後。
その手はしっかりと鎖月の白い手を握るとそっと離れていった。
御前はなにも言わずにもう一度深く頭を下げた。
「鎖月様―・・」
龍雪が鎖月を呼ぶ。
鎖月はそのまま車に乗り込んだ。
パタンとドアが閉められると、車はすぐに発車する。
窓から後ろを見ると彼はまだ頭を下げたままだった。
その姿はまるで泣いている様にも見えて・・
「・・・・・・・そなたに月の加護があらんことを。」
小さく鎖月は呟いた。
―・・それが鎖月が見た”影島左衛門ノ介”という男の最後の姿だった。
*
「旦那様、もうお休みになられましたか?」
夜も更けきった真夜中。
控えめな声で部屋の外から声を掛けてきたのは妻の秋だった。
明かりをつけたまま、眠ることも出来ずに書類に目を通していた御前は手元から目を上げる
こともせずに、「入りなさい」と言った。
「失礼します」
襖が開かれ、お盆を持った秋が入ってくる。
茶のいい匂いが鼻孔をくすぐった―・・御前はその匂いにつられ顔を上げる。
「今夜は冷えますから、あまり無茶はなさらないでくださいね」
気遣わしげな秋の言葉に御前は「あぁ・・」と低い声で生返事をした。
茶を受け取り一口、口に含んでから書類に目を戻した。
だが、しばらくしても秋がその場を離れた気配がしないことに気付いた御前は再び顔を
上げた。
「どうした?まだ何かあったか?」
「いいえ。ただ―・・お邪魔は致しませんのでもう少しだけ側にいても宜しいでしょうか?」
秋のその言葉に御前は僅かに眉を顰めるとフンッー・・と鼻で笑った。
「好きにしろ」
「はい」
秋は嬉しそうに頷いた。
何をそんなにも嬉しがるのか―・・全く訳の分からない女だ。
昔からそうだ。
この女は他の女たちとは違っていた。
私にとって"女"達は道具でしかなかった―・・子を残すため、力を肥大させるための。
そのことを割り切って近づいてくる女達も多くいた。
その中でもこの女は特に"浮いていた"。
政略結婚で私のもとへと子爵の令嬢だった娘が嫁いできたのは戦後間もない頃。
―・・秋との間には子供は出来なかった。
彼女は子供が出来ない体質だった。
我が命尽き果てても我が望みかなえるために私には私の血を継ぐ多くの子供が必要
だった。
すぐに他の女の下へ通い始めた私に他の女同様すぐに愛想を尽かすと思った。
他の愛人のように別宅に移るものだとおもっていた―・・だがこの女は憎まれ口を叩く
こともなく、ただおっとりと微笑んで私の側に居続けたのだ。
泣くこともしない、怒ることもしない。
ただ側にいて、にっこりと笑う。
容姿も優れているわけでもないごく普通の女―・・だがその笑顔だけは"美しい"と思う
のだ。
年をとり多くの皺が刻まれた今でさえもその笑顔は"美しい"と思った。
何故そんな風に笑うのか。何故そんなにも幸せそうに―・・
「秋」
気付けば書類を整理する手は完全に止まり、妻の名を呼んでいた。
思えば彼女の名をまともに呼ぶのは数えたほどしかなかった気がする。
突然名を呼ばれた秋も驚きを隠せない顔で「はい?」と応えた。
「いや・・なんでもない」
何を言おうとしたのだ私は。
今更―・・そう今更だ。私がこの女にかけてやれる言葉など何もないではないか。
思えば、只一つの望みをかなえるためだけに随分と遠くに来たものだ。
ふっと口元に笑みがともった。
「なぁ、秋―・・お前は私を・・」
その時だ―・・続けようとした言葉は突如響いた銃声によってかき消されてしまった。
ズンッ―・・という縦揺れが屋敷を襲った。
「何事だ!!」
「―・・御前様!!」
御前が声を荒げるのと同時に楓が部屋に駆け込んでくる。
「何事だ、楓」
「はっ―・・夜襲をかけられました」
楓は状況を説明しながら二人を部屋から連れ出す。
「夜襲・・とな?」
「まだ相手は判別できていません。ただ・・」
「ただ?」
「屋敷の周りに仕掛けてあった"結界"が敵の侵入に反応を示しませんでした」
楓の言葉に御前はちっと舌打ちした。
「―・・術者を抱え込んでおるか」
「申し訳御座いません。対処が遅れてしまいました。―・・おい」
屋敷の中を右往左往する部下を楓は呼びつけた。
「お前達は秋様をお守りしろ。他は私と供に御前様を安全な場所までお連れするぞ
―・・"前"はどうなっている?」
「はい。内門の所で何とか食い止めてはいますが、外は完全に制圧されました」
「そうか―・・御前様、地下を使って外に出ます。こちらへ」
楓は屋敷の奥へと御前を連れて行こうとする。
だが―・・
「御前様・・・?」
御前はその場から動こうとはしなかった。
「楓、私はここに残る」
「―・・っ!?何を―・・」
御前はその懐から古びれた一つの懐中時計を取り出すとそれを楓の手に握らせた。
「―・・今このときをもって"山城御前"の全権をお前に全て委ねる」
「なっ―・・」
御前のその言葉に楓は息を詰まらせた。
(今・・・何とおっしゃった・・・?)
「今から"山城御前"はお前だ。よいな?楓」
「そんなっ―・・!?何をおっしゃられるのですかっ御前様!!」
楓は叫ぶ。何故―・・と。
だが御前は―・・影島という名の老人は狼狽する青年の瞳をひたと見据えてこういった。
「私の最後の命令だ。―・・以後、私の変わりに"山城御前"として仕えるべき御方に
命を賭けてお仕えもうしあげるのだ。よいな、楓。私に対して少しでも忠義があるのならば
この命―・・必ず成し遂げよ。」
「―・・っ」
その影島の力強い言葉に楓は震える拳を握り締め項垂れながらも主にたいしての忠義を
見せた。
「―・・畏まりました。この命に変えてもその命(めい)、必ずや遂行いたします」
ばっと頭を下げた。―・・彼のその目にはうっすらと涙がにじみ出ている。
「っ―・・失礼いたしますっ!!」
青年は駆け出した。
老人から託された思いを抱きしめて走った。
「お前達も行きなさい。―・・あれが今から使えるべき主だ」
青年の背中を見送りながら影島は、突然の展開にうろたえる黒服の男達にそう声を掛けた。
男達の半数はその言葉通りに新しき主を追った。―・・そして残る半分は・・・
「どうした。私はもう"山城御前"ではないぞ?」
「―・・最後までお仕えいたします」
残った黒服の一人がそう言った。
その言葉に影島は苦笑を洩らした。
「ふっ物好きな―・・勝手にしろ」
そして影島は男達を引きつれ中庭へと向かった。
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