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雨が降っていた。

この真っ暗な洞の中にも雨水が容赦なく入り込んでくる。

決して止むことのない―・・止むことを知らないのではないかと思うぐらいの雨。

そんな雨音を聞きながらふと、洞の外へと意識を向けたのは只の気まぐれ故だった

のか・・

それともこの暗い暗い洞の中で只一人延々と涙を流し続け、しまいには流す涙すらも

無くして只そこに座り、暗闇を見つめるのに飽いてしまったせいなのか・・

何日にも続く雨によっていつ崩れるやも知れぬ山。

外へと向けられた意識はその山道をいく一行を見つける。

―・・何と危なきこと・・

このような天候で山道を行くのは危険だというのは重々承知しているだろうに、その

人間の一行は何かを目指すように、何かを探すようにひたすら山道を進む。

その格好からするに修行に身を置く山伏だろうか・・

雨あしは強くなる一方だ。

私が"視ている"ともしらないで黙々と歩いていく。

暫くその無謀にも近い行動を眺めていたがふと、他の気配を感じ意識を天に持っていくと、

微かに"鳴神"の笑い声が聞こえた。

―・・そして続く轟音と閃光。

それによって打ちしだかれた山肌が崩れ、多量の雨水によって緩んだ地盤が土砂とともに

滑るように山肌を落ちていった。

その先には先ほどの一行。

突然の迫り来る轟音と地響きに目を見開き立ちすくんでいる。

―・・危ない

私は思わず舌打ちをしたくなった。

何をやっているのだろうか、私は。

力を使いあわや土砂の下敷きにならんとしたであろう人間達を安全な場所に転移させたばかりか

助けた私のことを"山神様"とひれ伏した人間達を面白いと思い雨しのぎにとこの洞へまでも導いて

しまった。

ただの気まぐれか・・

本当に不思議なことをしてしまったものだ―・・どうして"人"にここまでしてしまたったのか

"彼ら"にはもう二度と関わるまいと思っていた。故郷へ帰ることもせず従者達からも姿をくらまし、

悲しみにくれ一人ここで朽ち果てるつもりでいた。

なのに―・・導いてしまった。

近くで見ると彼らは山伏とは少し違っているようだ。

―・・この者達にはどこかしら興味を覚えるものがある。

彼らは礼儀をわきまえているようで"山神"ではない―・・だが遙かに高位の存在であると判断した

私に敬意を払い洞へ入る前には祝詞を捧げ、中には入ってはきたがそれ以上奥へと踏み込もうとは

せず静かに休息をしていた。

(しかしこれ程までに近く"人"を感じなかったのは久方ぶりのこと・・随分と懐かしいこと・・・)

あれから幾ばかりの時が流れたのか。

故郷からも人の世からも自ら隔絶したこの洞の中で泣き明かした時は永劫にして一瞬―・・

(この者達を助け導いたのは寂しかったから・・・・・なのかもしれぬ・・・随分と心も弱くなったこと・・)

ふっと自嘲気味に笑みをこぼすとその考えを振り払うかのように人の気配から遠ざかるため更に洞の

奥へと足を進めようとした。

―・・と。

―・・『何処の神ともしれぬ麗しき御神よ。何故に貴女はこのような場所におられるのですか?』

振りかえるとそこには年端も行かぬ少女が立っていた。

―・・『何故に?何故にかような暗く冷たく寂しい場所で御神は過ごされるのですか?寂しくはないので

   すか?』

少女は臆することなく只私をまっすぐに見つめ尋ねてくる。

私はその問いには答えずにすっと目を細める。

その顔はさぞ冷たく見えただろう。

すると少女は気丈にも顔を背けることなく私の視線を真っ向から受け止めた。

(ほぅ・・この女童・・・)

―・・『月夜(つくや)様!?』

少女がいないことに気付いた大人たちが慌てて走りよってきた。

―・・『なんということを月夜様っ・・・あぁっ御神よ申し訳御座いませぬ』

怒りを恐れるかのように皆いっせいに頭を垂れる。

だがツキヤ・・と呼ばれた少女は一人立ったままだった。

ー・・『御気分を害されましたのなら深くお詫び申し上げます。ですが御神のようなお方が何故にかよう

   な場所で居を構え・・・・・・・一人・・泣いておられるのかと・・・・』

少女の言葉に僅かながらに眼を瞠る。

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それを知ってなんとする、人の子よ?』

肉声で初めて声を出し尋ねた私に少女は顔色を変えることなく答えた。

―・・『知りたいと思うのが人の道理でございましょう。ですがその理由をお聞かせ下さい・・とまでは

   申しません。ただ・・その悲しみを少しでも和らげることはできないのでしょうか?少しでも和らげる

   ことは出来ないでしょうか?貴女の悲しみの声はあまりにも痛い・・・』

そう語る少女の顔は今にも泣き出しそうで。

(あぁ・・この娘は・・・)

『・・・・・・・・・・・・・・・女童よ、人の子よ。そなたの名は月夜と申すか』

―・・『はい』

(力強い眼だこと・・この娘はきっと"美しく"成長するだろう・・)

閉じこもり嘆くことしか知らなかった―・・出来なかった。

だが今はこの娘を―・・私の悲しみを感じ取ったこの娘の成長を見てみたいと純粋にただそう思った。

それ程までにこの娘は強い意志を持っている。

―・・真、人にしておくのが勿体無いほど・・

『我が名は"月夜姫"。ツキヨとツクヤ。音は違いなれども字は同じ。これも何かの縁というもの』

聞けば"月夜"というのは彼らの一族名でもあり代々その"長"が受け継ぐ名でもあるという。

月夜一族は平安のときより続く陰陽道の家系。

この山に入ったのも近年衰退しかけてきた一族の繁栄と復興を祈っての遍路と新たなる加護を求めて

の旅だったという。

その小さな肩にはどれほどの"責任"という名の重責がのしかかっていることか・・・それならば

『人の子よ、幼き月夜一族の長よ。そなたの一族の加護、今よりこの"月夜姫"が引き受けよう。我が

真名に誓って、我が父の名に誓って、我が愛しき月に誓って―・・』

そう宣言したときの月夜の顔のなんと眩しいこと。

『‐・・我と同じ名を冠する月夜一族に幸多からんことを・・』



幾百年ぶりかに洞を出た空は、雨も上がりまっさらな蒼を一面に掲げていた。



―・・私は、月夜一族の守り神となったのだ。