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カポーン―・・
獅子脅しの独特の音が静かに庭園に響いた。
その音に惹かれるように顔を庭へと向ければ僅かに紅葉を迎え始めた美しい庭園が視界に
飛び込んできた。
顔にかかったそれを白い指先で払いのけながら、この二月で更に美しく変貌した鎖月はふぅと
溜息を洩らす。
「―・・待つのは嫌いではないけれども・・・・・そろそろ足が痺れてきそうだわ」
「大変申し訳御座いませぬ姫様。今暫しのご辛抱を」
その隣で畏まって正座するスーツ姿の女性-・・神無は深々と鎖月に頭を下げた。
その様子を見てくすりと鎖月は笑みをこぼす。
「別に貴女が謝る事ではないわ神無。―・・それとその言葉遣い。普段は畏まって話す必要は
ないといったじゃない。冷禅たちのように気軽に話しかけてくれればいいのよ?」
「そうは参りません」
「本当に貴女は強情ね。ふふっ・・そういう所は昔から変わりないわ・・」
「冷禅たちのほうがどうかしているのです。恐れながら申し上げますが姫-・・」
「"鎖月"よ、神無」
神無も強情ではあったが鎖月とてそう簡単に引き下がれるタチではないのだ。
「昔と今ではちょっと感覚が違うんですもの。そう始終畏まって喋るのは龍雪一人で充分よ。
疲れちゃうわ。―・・"鎖月"ってよばないと一ヶ月口聞いてあげないわよ?」
うっ-・・と小さくうめいた神無の顔はまるで苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「―・・わかりました。鎖月様」
がんとして一歩も譲らなかった神無ではあったがさすがにそれは辛い。
まるで子供がだすような条件ではあったがそれは想像以上に堪えるのだ。
渋々といった感じで了承した神無に、
「う〜ん・・まだちょっと固いけど・・まぁいいわ」
と呟いた鎖月ではあったが多分これ以上は譲ってはくれないだろうと考えここは一旦ひくこと
にした。
「―・・それにしても待たせるのね。龍雪はまだ戻ってこないのかしら?」
*
京都でも有名な料亭の座敷の一室。
そこへ通されてからかれこれ一刻半以上が経過しようとしている。
半刻前に龍雪は様子を見てくるといって部屋を立ったきりだ。
今は神無と二人。
まだこぬとある人物を待ちわびていた。
「何かあったのかもしれませんね。あの"山城"の翁が約束を違える事などないのですから。
見てきます」
「えぇ、お願い」
神無は音も立てずに部屋を出て行く。
一人きりになった鎖月は、上品な深緑色に染められた着物の襟を直しながら再び意識を庭園
へと向けた。
("山城御前"・・ね)
"山城"―・・つまり今でいう所の京を指す。
敬意と畏怖を込めて"山城御前"とよばれる老人は龍雪たちの数少ない"人間"の協力者でも
あるのだ。
真名を影島 左衛門ノ介という。
御年九十七歳。
龍雪たちと出会ったのは彼がまだ若かりし時-・・日本陸軍の将校であった頃だときく。
いくら"神"や"天上人"と呼ばれる存在の月の者でも地上で長く暮らしていくためにはそれなり
の後ろ盾がいるもの。
人の世には人の世の理があり、それを無闇に侵してはいけないのだ。
勿論"月夜姫"である自分を探す際にも多少の制限は付いてきた。
そのためにも人の世界で動きやすようにより多くの"人脈"というものを必要とした。
戦乱の世で新しい時代の兆しを見出した龍雪たちはその新しい時代に相応しい"協力者"を探
しだした。それが当時の華族・影島家の当主・左衛門ノ介。
一族の更なる発展と新しき時代への手助けをする代わりに自分達に"協力"することを要請し、
そして双方は誓約をした。
それから現代に至るまで-・・めきめきと影島家は日本の頂点へと上りつめ今や"山城御前"と
呼ばれるようになった彼無しには日本経済はありえないとまでも言われている。
表向きはとうの昔に引退し、京の山奥の屋敷に居を構えてはいるがその力は衰えることはなく
今尚、その発言力は強大だ。
直接あった事はないにしろ神器を探し始めたこの二月あまり・・彼の財力や情報網をたっぷりと
思い知らされていた。
今回この料亭に鎖月たちを招待したのも彼なのだ。
山城御前自ら折りいって話があるとのこと。
龍雪はわざわざ鎖月自身が足を運ぶこともないと最後までいってはいたが折角の機会だ、会う
にこしたことはないだろう。
(老いているとはいえ私たちの事情に深く入り込んだ人間だもの・・この目でその真意を確かめ
るもまた一興-・・)
「―・・鎖月様、失礼致します」
龍雪の声に鎖月は一旦思考をとじる。
「随分と長かったわね龍雪。なにかあったの?」
部屋の入り口には正座する男女が二人-・・その両名共に何というか苦々しい顔をしているもの
だから鎖月は苦笑を隠しきれなかった。
「はっ。大変長らくお待たせしてしまい誠に申し訳御座いませんでした-・・」
深々と龍雪が頭を下げた。
(本当に・・そろいもそろって似たようなことをするのね・・ふふっ・・変わりないわ)
「顔を上げなさい龍雪。別に私は怒っているわけではないのだから。―・・それで?何かあった
の?」
「はっ―・・実は・・」
頭を上げた龍雪はいいにくそうに口を動かした。
「山城殿が急にこちらへこられなくなったとのこと。恐れ多くも鎖月様に屋敷までお越しいただけ
ないか・・とのことでございます」
「行くことはございますまい」
龍雪の隣で神無が多少怒りを含んだ一言を言い放った。
「まったく・・"山城"の翁もどうかしている。ついに耄碌(もうろく)したかっ・・!姫様に対して恐れ
多くもそのような物言い-・・っ」
「神無」
そのまま放っておけば溢れだした怒気によって辺りのものを破壊しかねない神無に鎖月はおっとり
とした口調でそれを制した。
「―・・いいでしょう。龍雪、今から屋敷へうかがうと伝えなさい」
「-・・はっ」
「姫様!?」
尚も反発しそうな勢いの神無に鎖月は静かに笑みをたたえてみせる。
「ただそこに座して護られて崇められる-・・それだけの存在であってはいけないわ。それは不完
全なものよ。"神"という名の傲慢がそうさせる・・。神無、この際下手な自尊心など捨ててしまいな
さい。私たちには―・・いいえ・・私は一刻も早く全てを成し遂げ月へと帰らねばならないのだから」
「っ姫さ―・・いえ鎖月様。―・・わかりました。それでは・・・行きましょう」
「えぇ、そうね」
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