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「でも、冷禅王・・・何故あなたがここに?」
跪く"TUGURU"―・・こと冷禅王に疑問を隠せない。
月の都を守護するはずの武神が何故ここに・・・?
だがそこでふと龍雪の言葉を思い出す。
「あぁ・・・龍雪がいっていた私に会いたいというのはあなた達だったのね・・神無や葉月王は
どうしたの?いいえ・・それよりも・・・」
月を守護する彼らは同時に月の王でもある自身をも守護する者達だ。
龍雪同様こちらへ降りてきたのは至極当然のことなのだろう。
だが・・だがそれよりも・・
「あなた・・その身体はどうしたの?」
その体躯はがっしりとしているものの、以前のような身体とは明らかに異なっていた。
顔つきも違う・・・
術で姿かたちを変えることは出来るが、今目の前にいる冷禅王はそうではなかった。
―・・肉体が根本から違うものへと変化している。
そう・・彼の肉体は既に"天上人"の身体ではなかった。
今の私と同じ人の子の器だ。
それは以前の身体が朽ちたことを意味する。
"天上人"の魂は永遠(とわ)に近い形で不滅、その肉体は不変の器。
そうやすやすと壊されるものではないはず・・・
驚愕する鎖月に冷禅王は苦笑した。
「なに、大したことではありますまい。ただ以前の器が壊れただけのこと。姫様も知っておい
ででしょう?私(わたくし)めの気性を。こちらへ降りてきてからは幾度も器を入れ替えました
故・・今更、以前の"天上人"の器に未練も何もないのですよ。姫様と同じでございまする。
―・・あいや、これまた失礼を。姫様と同じなどとは・・少々無礼が過ぎましたな」
豪快に笑ってみせる。
「しかし・・・」
笑うのをピタリとやめ、目を細める冷禅王の顔は怒っているようにも見えた。
「此度のこと・・・いくら姫様とはいえ無謀すぎますぞ」
「・・・・・・・・」
返す言葉もない。
項垂れる鎖月に冷禅王は困ったように首を傾けた。
「我が君は御身の大切さを充分に理解されておられぬようだ。我等がどれだけ案じたかわか
っておいでか?」
「・・・・・・・・ごめんなさい」
彼の言うとおりだろう。
今回はことを焦りすぎて前が見えなくなっていた。
(無鉄砲すぎたのよね・・・)
更に気持ちを静めた鎖月に、冷禅王は微笑すると先程とはうってかわって優しい言葉をかけ
る。
その声色は呆れているようにも聞こえたが、何処か意地悪げにも聞こえた。
「はぁ・・・・まぁ姫様が無事で何よりでしたが・・しかし、姫様。これからが大変ですぞ」
苦笑混じりの嘆息をし、よっこしょと立ち上がる冷禅王を見上げる。
「え?」
「龍雪にございます」
「あぁ・・・」
そうだ。
冷禅王だからこれだけですんだのだ。
だが彼なら・・・
「―・・小姑みたいなお小言大王だからなぁあいつ。鎖月ちゃんも覚悟しといたほうがいい
ぜ?」
口調をTUGURUに戻し、人の悪い笑みを浮かべた彼に鎖月は別の意味で溜息をついた。
(確かに今回は私が悪いけど・・・あぁ・・胃が痛い・・・)
「・・それで?その"小姑大王"様はいついらっしゃるのかしら・・?」
「ん〜・・もうきたみたいだけど?」
「うっ」
と、同時にドアが開かれた。
「―・・姫様!!」
だが予想外にも一番手で部屋に飛び込んできたのはスーツ姿の女性・・
「ようございました!!あぁ!!もう本当に心配したのですよっ!?お怪我は?どこもお怪我
はなされていませんね?」
「え・・えぇ・・・」
ぎゅっといきなり抱きつかれて少し困惑する鎖月だったがその彼女の懐かしい風貌と空気に
心穏やかに笑みを浮かべる。
「大丈夫よ神無。ごめんなさい・・心配をかけてしまって」
「姫様・・」
「久しぶりね、元気そうで嬉しいわ」
落ち着かせるようにその背中をゆっくりさすってやると神無はその知的な顔にはいささか不
釣合いなほどに頬を上気し、目を潤ませ鎖月の顔を見上げた。
「神無、それでは姫様が動けないですよ」
続いて優しげな顔立ちの白衣を着た男が入ってくる。
その風貌に目を細めると鎖月は彼の名を呼んだ。
「葉月王・・久しぶりね」
「えぇ、姫様。つつがなくお元気そうでなによりです」
彼は神無のように抱きついてはこなかったがそれでもその顔は嬉しそうに綻んでいた。
そしてその後ろから最後の一人が姿を現す。
「龍雪・・」
すっとその双眸が細められる。
「鎖月様・・・」
「―・・悪いけれども、三将は席をはずしてくれないかしら?」
鎖月の静かな声に三将は無言のまま(神無はしぶしぶといった所だったが)部屋を退室した。
二人きりになる。
シン―・・静寂が辺りを満たした。
暫く何も言わずに見詰め合っていたが、龍雪が一歩動いた。
パシン―・・
乾いた音が部屋に反響した。
「―・・あなたはどれだけ大変なことをなされたかわかっておいでか?」
怒っている。
「・・・・・・ごめんなさい。」
ヒリヒリと痛む頬に手をやることもせず鎖月はそのまま視線を落とした。
だがその視界に再び龍雪の顔が入ってくる。
「目をそらさないでいただきたい―・・あなたは本当にわかっておいでか?」
彼は跪きその鋭い視線で下から鎖月の顔を覗き込んだ。
「御身がどれだけ我等にとって大切なものかわかっておいでなのか?」
「・・わかっているわ。確かに今回は私も焦りすぎた。軽率だったと痛感しているわ―・・」
「いいえ、あなたは全くもってわかっておられない。今のあなたが動いた所で何も出来ない
と思いませんでしたか?あなたはもっと周りを見るべきなのです」
「えぇ確かにそうね、でも私は―・・」
「言い訳は無用です。あなたは無力だ」
「っ―・・」
静かにだけれども深い怒りを孕んだその言葉に鎖月はカッと頬を染めた。
"無力"・・
確かにそうだ。
言葉を詰まらせた鎖月を龍雪の冷たい瞳が見つめ続ける。
でも―・・
「でも私は―・・!!」
ふわっ
(え・・・・?)
唐突に視界を黒が覆った。
「本当に・・あなたは何もわかっておられない・・」
耳元で龍雪のよく通る低い声が囁いた。
「どれだけ・・どれだけ心配したことか・・」
わずかに・・・ほんの僅かだがその声色が震えているような気がした。
(龍雪・・・?)
ぎゅっと強く抱きしめられている。
この状態ではこれの顔は見えないが、何だかとても―・・彼が泣いているような気がした。
よくよくみると、相変わらず黒一色で統一された服はいつものように完璧に着こなされては
おらず、所々乱れている・・
(あぁ・・・そうか・・)
走り回ったのか・・髪も少しだけだが乱れでいた。
ぎゅっとその身体を抱きしめ返した。
(こんなにも・・私は心配させてしまった・・)
先程神無にやったように・・まるで幼子をあやすようにその背をさする。
「ごめんなさい」
身体を抱きしめる力が増したようなきがしたが気にせずもう一度、その耳元でゆっくりと
囁いた。
「本当にごめんなさい。それでも私は知りたかった」
ゆるゆると龍雪が身体を離していった。
その顔から表情を読み取ることは難しかったがいつも眉間に寄せられている皺は更に深さを
まし、どことなく困ったような顔をしているように見えた。
「・・・私は、姫様がこの秋津島へと降りられてからの千年の記憶を取り戻されることには正直
賛同いたしかねます。しかし・・」
言葉を選ぶように、その重い口を動かしていく。
「まずは力を取り戻されなければ月へ戻ることも叶わぬことでしょう。その結果記憶を取り戻さ
れたとしても、姫様自身が望まれたことならば私共は何も言うますまい」
「龍雪・・・・」
「けれども約束していただけませぬか?もう二度とこのように一人で無茶はなさらないと」
切実に語られるその言葉に鎖月は頷く。
「えぇ、誓いましょう。二度とこのようなことはせぬと」
結構、と龍雪は納得したように頷く。
「それでは、動くと致しましょう」
「これからどうするの・・・?」
鎖月の手を引き立ち上がらせると龍雪はいつもの表情に戻り淡々と喋った。
「"月夜姫"の三種の神器を―・・月光花、月琴、羽衣を探します」
*
夜空に浮かぶ月。
「今宵は満月か・・」
明かりもつけずに薄暗い部屋の中からその月を見つめる男が一人。
どれだけの時間そうしていただろうか?
ふいに扉がノックされた。
「―・・十夜様。晴利にございます」
「入れ」
音もなく扉が開けられ、一人の青年が入ってきた。
「十夜様、準備が出来ました。いつでもでられます」
「わかった」
十夜は窓から離れる。
「それでは日の出と共に動くとしよう」
「御意」
「さて―・・」
十夜は畏まる晴利から視線をはずし再び月を見上げた。
「どうなると思う?」
その問いは晴利に向けられたものではなかった。
すっと隣の部屋から人影が出てくる。
晴利はその姿を視界に入れるとはっと息を呑んだ。
「十夜様・・・影奈様を連れてこられたのですか?」
「あぁ。」
影からでてきたもう一人の男。
月の光に照らされたその肌は青白くも見えた。
薄闇ではっきりとはしないがその顔は十夜と対をなしたようにそっくりだ。
只違う所といえば腰まである真っ白な長い髪、そしてその目。
その目は何も映してはいなく空ろだ。
彼は目が見えないだけでない・・喋ることさえできない。
影奈はふるふると首を横にゆっくり降った。
「晴利、もういい。下がれ」
「はっ・・失礼致します」
影奈の登場に思わず唖然としていた晴利だったが十夜の言葉にはっとなると一礼して退出
した。
晴利の気配が完全に消えてから十夜は影奈に近づいていった。
その長い髪を一房とると指先で遊ぶようにいじる。
「やっと・・やっと彼女と再び出会うことが出来たのだ。そう易々と"月"へ戻らせるものか・・」
「・・・・・」
影奈は何の反応しない。
ただ虚空を見つめるだけ。
「必ずこの手に・・っ」
十夜の言葉に熱がこもる。
指先で遊んでいた髪はぎゅっと掌の中で握りつぶされた。
影奈の顔が少しだけ動く。
その何も映さない瞳は確かに空に浮かぶ月を見ていた・・
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