<6>
窓の外には数多く光る地上の星々が広がっている。
夜景としては最高の眺めといえるだろう・・
都内の高級ホテルの最上部にある三ツ星レストラン。
幾つもの雑誌やテレビでとりあげられているのを見たことがある。
ここは完全予約制でとても人気が高い場所だ。
食事をするだけでどれだけの金銭が必要となるか・・・
その窓際の,最も景色がよく見える一画を貸しきり、鎖月と男はテーブルを挟んで
対峙していた。
ちらほらと他の客も見えるが二人の周囲の席は空っぽで近くに誰も寄せ付けて
いなかった。
(それほどの財力や地位を持っている―・・ということよね)
目の前で他愛もない世間話をし続ける男を注意深く観察しながらそう考えた。
男の年齢は・・龍雪の外見年齢と同じぐらいだろうか?
色素が薄い髪を後ろへとなでつけ、紺色のスーツをきっちりと着込んでいる。
人付き合いがよさそうな顔立ちをしている・・人間の中では整った容姿だろう。
背は・・龍雪と同じぐらいだろうか。
中肉中背・・動作は洗練されたもので中々優雅だ。
こういうところには来慣れているのだろう・・上流階級の動きだ・・無駄がない。
ふと、男は話をやめ鎖月の手元を見やる。
「―・・フランス料理はお口には合いませんでしたか?でしたら他に場所を移し
ましょうか?」
テーブルの上には次から次へと料理が入れ替わり運ばれていくが鎖月はそれらに
一切手をつけなかった。
ここの予約を取るだけでも何ヶ月も待つものもいるというのにあっさりと場所を移そ
うか?というこの男に多少呆れながらも鎖月は首を振った。
「その必要はないわ。只・・食欲がないだけ」
「それではワインは?」
「―・・未成年だわ」
男はクスリと笑った。
「それは人に対しての法律でしょう?今のあなたがそれに縛られる必要が何処に
ありますか?」
やはり知っている。
この男は"私"を知っているのだ。
揶揄するような男の口調に鎖月は苦笑する。
この男も龍雪と同じことを言う。
「・・・それもそうね、頂きましょう」
"人"ではないのに"人"に縛られている・・と。
その考えを押し流すかのようにつがれた赤ワインをすっと飲み込んだ。
―・・苦い。
果たして苦いいと感じたのは味のせいだけだったのか・・
「あまりおいしくないわ」
「そうですか。それでは別のものを用意させましょう」
「いいえ結構です。それよりも―・・」
鎖月はじらすかのように話を長引かせるこの男に少し憤りを感じていた。
真正面から見据えた。
「あなたは誰?」
そう・・未だ男は名前を告げていないのだ。
「・・まだ思い出されておられませんか」
クスッと笑った。
自分を見つめるその眼差しは優しげで・・愛しみがこもっていた。
「あなたは・・私の"何"を知っているの?」
「全てを―・・」
男の手が伸び、テーブルの上に置かれていた鎖月の手に重ねあわされた。
指の腹で優しく鎖月の手の甲を撫でる。
「あなたの全てを存じ上げております。我が愛しの月夜姫―・・」
「私の全て・・」
「そうです」
男は立ち上がりそのまま鎖月の背後に周った。
身をかがめ耳元で囁いてくる。
「あなたが知りたいことを・・私は知っています。」
それは今の鎖月にとって最も甘美な誘いだ・・
「私と共に来ていただければあなたの望むがまま・・全てをお話しましょう。お教え
しましょう。―・・そのために私を探していらしたのでしょう?」
「えぇ、そうね」
この男は私の全てを知っているのだという。
「確かにそのとおりだわ」
そして共についてこいという。
それは―・・"彼ら"を置いていけということか・・
「―・・でも」
小賢しい。
パシリと男の手を振りほどいた。
「あなたに付いていく気はないわ」
席を立ち上がって男の顔を下から威厳を持って睨みつける。
"月夜姫"の眼差しで―・・
「人間が私に取引を持ちかけようというのか―・・身の程を知るがいい」
とんだ無駄足だったようだ。
このような男を捜していたとは―・・確かに龍雪の言うとおり、捨て置けばよかった
のかもしれない・・
自力で思い出せばいいのだ。
ふっと笑ってみせる。
「人の子よ―・・お前が私の全てをしっているというならわかるであろう?私は"月
の王"・・神は決して人には屈せぬ」
背を向ける。
「―・・黙って出てきているの、これで失礼するわ」
カツカツと靴を鳴らし、出入り口へと向かって足を進める。
くすりー・・と後ろで男が笑う気配がした。
「さて・・?そう簡単に帰すとお思いか?」
バチィッ―・・
「っ・・・・・・!?」
青白い火花が散った。
鎖月の行く手を見えない壁のような者が阻んだのだ。
「結界!?何時の間にっ・」
「あの従者の下へと帰られるというのですか?愛しい人」
「―・・っ!?」
腕をつかまれ強引に振り向かされる。
「私を置いていかれるというのですか?戻るというのですか?」
「放しなさ―・・」
「―・・かつてあなたを裏切ったあの従者のもとへと」
(え・・・・?)
鎖月は一瞬思考を停止させてしまった。
抗っていた腕の力も弱まってしまった。
「どういう・・?」
ことなのか?と問い詰めようとした鎖月の言葉はしかしつむがれることはなかった。
「―・・逃がしません」
「っ!?」
男の瞳が鎖月の瞳を捕らえた。
ガタッ―・・と身体から力が抜け崩れ落ちた。
男がその身体を抱き上げる。
(これは・・いった・・い・・・・・?)
尚も男の眼は鎖月の瞳を凝視している。
これだ・・この瞳が・・
「アレを信じてはいけないのですよ・・アレはあなたを裏切った・・あなたに仕える身
で
ありながら」
「な・・・にを・・戯・・言を・・」
「戯言などではありませんよ。アレはあなたを裏切ったのです。私はそれをこの眼で
確かに見たのですから・・」
ざわりと背筋を奇妙なものが走った。
中にー・・自分の中に異物が入ってくる・・
強引に・・中に入り込み何かを引きずり出そうと・・
「っ!?」
脳裏にさっとある情景が広がった。
*
桜。
そう桜の花びらだ。
ひらひらと赤い花びらが・・・
赤?
赤だ。真っ赤に染まった地表・・
腕の中・・
腕の中に誰かを抱いていた・・
その人は花びらと同じように赤に染まっていた。
そして目の前に立つ一人の男―・・
その顔は不敵に笑みをつくり、血に濡れた刀を下げている・・
―・・お前などに渡さない・・
―・・いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
*
「―・・っ!?」
一瞬の出来事だった。
駄目だ。
これ以上は駄目だ・・
尚も侵食は続いている。
(人間風情が―・・っ!!)
この男は―・・
たかだか人間の分際で―・・
私を―・・!?
神を侵そうというか―・・っ!!
月はその淡く白く光る明かりで優しく地表を照らす。
大きく包み込むように天空にある月だが・・
月は時と共に様々な顔を持つ。
「―・・っ!!私に―・・」
鎖月の身体から"怒り"が溢れ出た。
「触れるでないっー・・!!」
空気が振動した。
リィィィィィィン―・・
壁が崩れる音。
次いで物質的な音が響いた。
ガシャァァァァァァアァァァアァァァァァ――――――――――――ン
「きゃぁぁぁぁ!!!!!」
ガラスが割れる音。
人々の悲鳴。
先程まで優雅さがあふれ出していたそこは一瞬にしてその姿を変えた。
その中に立つ二つの影。
鎖月と男。
鎖月の顔は怒りの色に染まっている。
男は―・・
「くくっ・・あなたのその怒った顔も美しいですね・・」
嬉しそうに笑っていた。
戻 進