<4>
だが今ので分かったことが一つある。
龍雪は何かを隠している。
そしてそれはそう・・・きっと私がここへと降り立ち今こうして"鎖月"という人の子として
生きているまでの空白の千年の記憶に関係していることだ。
鎖月は冷静さを取り戻すと椅子に腰掛け思案に暮れる。
頭の中で物事を整理しなおしていく。
今ある記憶はやはり"鎖月"として生きたこの十数年間のものと、月にいたころまでしか
思い出せない。
最後の記憶を掘り起こす・・
そう・・いつものように月宮殿を抜け出し・・何度か内緒で降り立った秋津島の地。
確か―・・地上があまりにも暑かったから近くにあった泉の声に惹かれて水浴びをして
いたのだ・・
そしたらそこに鹿の親子と―・・人間が・・・・・・・
チリッとこめかみがうずく。
(確かにさっき夢で見たはずなのに・・・もう霞がかって思い出せない・・・?)
思考をやめ、うずきがおさまるのをまってから鎖月はあ窓辺へと歩み寄る。
「やっぱり・・もう一度、あの男に会う必要があるわね」
アレは何かを知っている。
あの男は自分のことを"月夜姫"といった。
"月夜姫"と呼んだのだ。
窓の外へと視線を移した。
そう高くはない。下には広い庭が広がっている。
その半分を木々が埋め尽くしていた。その先には外壁。
右の方に見えるのが裏門だろう。
目には見えないがこの屋敷を覆うように結界が張られているのを肌で感じた。
でもそれも問題ではない。
それは外敵からの進入を防ぐものであって内部からは容易く破れるのだ。
それに龍雪から気配を隠すことも造作ない。
(そのぐらいのことならば今の私でも念じるだけでできるわ・・)
衣装棚へと足を向ける。
どれもこれも高そうなものだったがなるべく動きやすいものをと思い飾り気のない白い
ワンピースを取り出し着用した。
窓を開け、すぐ隣についていたパイプへと身を寄せた。
するりするりと下へ通りていき、身を低くしながら裏門へと走る。
裏門は存外するりと開いた。一度屋敷を振り返る。
(ごめんなさい。でも・・私はどうしても確かめなければならないのよ)
そして鎖月は一人、街へと降りていった。
*
龍雪は下へ降りると嘆息した。
あれほどお怒りになられるとは。
(たかが人の子のこと・・・未だ忘れられませぬか・・)
しかし。
―・・"彼"とは一体?
あのようなことを聞いてくるということはその人間の術士が何かしら"知っていた"ということ
だろう。
そんな会話がなされたのかも分からないがきっとそうなのだろう。
ぎゅっと唇を噛締める。
そう―・・
わずかだったが鎖月を連れ戻す際、自分は"奴"の力に触れた。
―・・私はあの"力"の色を知っている・・
忌々しい記憶が語る・・・・・あの"気配"
(否・・あれは死したのだ・・だが・・・あれはきゃつの・・・)
思い過ごしであって欲しい。
そう願わずにはいられない。
(あれはまた姫様を苦しめるというか・・っ)
そんなことはさせるものか。
今度こそ。
今度こそ共に月へと帰らねば・・・
「御君の御容態は如何か?」
客間へと戻るとソファに座していた女が尋ねてきた。
髪を後ろでひとまとめにし、ベージュのスーツをピシリと着こなし背筋を伸ばして礼儀正しく
茶を飲んでいる。
「―・・順調に回復なされておられる。今しがた月にいた頃の記憶を取り戻された」
「真かっ!?―・・それはほんに行幸・・」
女は歓喜に笑みをたたえた。
「わたしたちのことも思い出されておられると良いですね」
女とは反対に鎮座している男が嬉しそうに言葉を発した。
細い黒縁眼鏡をかけていて、女とは違ってその顔は普段からも気の抜けた感じで緊張感が
ない。
白衣を着込んでいるが、元々体が細身のためかそれもだぼだぼとして見える。
この二人、名を神無と葉月王という。
人の世での名は立花 神無、葉月 涼太というが龍雪達の前ではそれも必要はない。
二人は共に"月"のものである。
かつて月の世にて月夜姫に仕える"三将"と呼ばれ、従者である龍雪の次の位にいた者達
だ。
"三将"は月を守護する武神達。
楽師・神無、学士・葉月王、そしてここにはいないがもう一人―・・護士・冷禅王。
「冷禅はまだきていないのか」
「彼は私たちと違って人の体を器としているからね・・色々と忙しいみたいですよ。人気者は
忙しいですからね・・」
「電話でもぼやいておったな。まったく・・・姫様が御復活なされたというのに仕事をほって
でもこぬとは・・・・万死に値する」
神無が悪態をつく。
その様子に葉月王がははっ・・と笑った。
「しょうがないですよ。馬鹿みたいに律儀ですからね、彼は。まぁその馬鹿みたいにまっすぐ
なところが彼のしがない長所でもあるのですから。姫様もそのようなことでお怒りにはなら
ないでしょう」
「・・・・葉月。それではほめているのかけなしているのかよくわからんぞ」
やれやれといった感じで龍雪が肩をすくめた。
「それで?まだ姫様はお休みなんですよね?」
「あぁ。記憶を取り戻されたことによって少しばかり疲弊なされたようだ。暫くすれば降りて
こられる」
その言葉に二人は深く頷いた。
「ではお待ちいたそう。姫様のためならば待つことなど苦にも思わぬ」
と、そこで神無が言葉を切ってふと押し黙った。
「如何したか?」
龍雪が尋ねると神無は一呼吸置いて口を開いた。
その表情は不安げにゆれている。
「姫様は"あのこと"を思い出されてはいるのか・・?」
ピクリと龍雪の肩が揺れる。
葉月王も俯き神無と似たような表情を湛えていた。
「―・・月にいた頃の記憶を取り戻されたといったはずだが?あの―・・ここへ降り立たれて
からの記憶は思い出されていない」
「そう・・ですか・・・」
二人は見るからに安堵しているようだ。
「しかし・・いずれ思い出されるのでしょうね」
「なぁ龍雪・・我等はこのままあのときのことを思い出さぬままであってほしいと心の底より
願っている」
神無の悲痛な声色に龍雪も頷き同意した。
「無論。私とて思いは同じだ。だが姫様は―・・鎖月様は"全てを思いだす"ことを望まれて
おられる。私たちが語らずともご自身で力を取り戻し、記憶を取り戻されよう。―・・それを阻む
ことは何人たりとも許されぬ。例え我等だろうと」
「それが御方を再び傷つけることとなってもか!?」
立ち上がり激昂する神無を葉月王が手で制した。
「神無。落ち着きなさい」
「だが葉月よ!!私は―・・私は姫様のあのような姿・・・もう二度と目にしたくはない・・」
「神無・・・」
その体から力が抜けすとんっとソファへと腰を下ろした。
手で顔を覆う。
「この千年・・・我等はずっとこの地にて待ち続けたのだ・・姫様に再びあいまみえんがため
にっ・・・・・・・」
神無の声が震えている。
「よいではないかっ・・このまま月にお連れ致せば・・それでよいではないかっ・・わざわざあの
ようなことを思い出されなくても・・我等とのあの月宮殿での幸せな思い出だけでよいではない
かっ・・」
「でも神無・・・それでは姫様は納得なされないよ」
神無の隣に座りなおすとその方を抱き葉月王は言葉をつむいだ。
「姫様のことは君もよく知っているでしょう?―・・例え姫様自身が御自分の記憶を封印なさ
れたのだとしても、あの方は再びそれを紐解くことを願うはず・・・・・・私たちは姫様のために
あるのですよ・・」
「わかっている・・わかっているからこそ・・っ」
か細く力なき声で神無は応えた。
「この千年・・これが決して無駄な時ではなかったという事を切に願います」
葉月王の静かな―・・だが全てを覆うように優しい声色に龍雪も耳を傾ける。
「あぁ・・そうだな・・」
ふっと微笑した。
「―・・だがやはり今はまだお教えすることはできぬ。何を問われようとも応えることは許され
ないぞ」
「えぇ・・わかっていますよ」
「・・・・・・あぁ・・・」
二人が頷いた。
「まずは"神力"を取り戻していただかねば・・これがなければ月に戻ることさえも叶わな―・・
・・・・・・・・?」
「どうかしましたか?」
眉をいぶかしめ虚空を見つめる龍雪に二人はそろって首をかしげた。
「・・・・・・・」
だが龍雪は応えない。
と、突然彼は部屋を飛び出した。
「龍雪っ!?」
「如何したっ―・・まさかっ!?」
神無と葉月王もその後をすぐに追う。
龍雪が向かったのは二階にある鎖月の部屋。
扉を開けるとそこには・・
あるべきはずの主の姿は無かった・・・・・・・
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