三。
あたり一面、白い花の海が広がる。
真白く輝くそれらは、そよ風に打たれて小波を作る。
今、私はその海を横切っている。
裾をはためかせながら走ると、白い花が散って雪のようにまとわり付いてきた。
頭につけた冠の鈴たちがシャランシャランとなる。
―姫様ァ-・・
遠くの方で自分を呼ぶ声がした。
自分が宮にいないことに気付いたのか。彼等が慌てふためいて自分を探す様を思い浮かべクスクスと
笑った。
(だめよ、だめ。せっかく抜け出せたのだもの。捕まるものですか)
久しぶりに外へ出れたのだ。もっと楽しめる場所へ行かなければ。
花畑をぬけると森に囲まれた"渡りの泉”があった。
息を切らしながら泉の畔にしゃがみこみ、水の中を覗き込む。
その中に浮かび上がるのは緑の大地。
己が父のその又父が、妻と供に作った大地があった。
「秋津島・・・」
あそこへ行こう。
身を乗り出して"渡りの泉”の中に手を入れる。
そのまま体の力を抜いて落ちていく。
人々が住む秋津島へと・・・
ガタンッ―・・
突然の振動にはっと目を覚ます。
「気が付きましたか?」
「ぁ・・・・?」
まだ覚め切らない頭で何とか車の助手席に乗っている事を知る。
車を運転しているのは龍宮だった。
「あの・・・・私・・・?」
「急に倒れたときはビックリしましたよ。保健の先生によると軽い貧血だそうです。今お家まで送って
いる途中ですよ」
「そう・・なんですか・・有難うございます・・」
降りしきる雨の中、車は静かに走っている。
外を見れば見覚えのある風景−・・洋子の家の近所だった。
「安藤さんも一緒に乗っていたんですよ、君のことを心配してね。さっき降りたばかりなんだけど・・・」
「あの・・・すいませんでした。お手数をおかけして・・・」
「いえ、いいんですよ。困ったときはお互い様。それにこれは教師としての努めですからね。といって
もまだ教育実習生だから"教師”ってわけじゃないんだけど」
にこやかに笑う龍宮に鎖月は「はぁ・・」と相槌を打つだけだった。
暫く車の中に沈黙が漂う。
車が赤信号で停まる。
ゴロゴロ―・・っと遠くの方で雷鳴がした。
そういえば・・と考える。
意識を失う直前に聞いたあの言葉は一体なんだったのか・・・?
それにあの冷たい顔は・・・
そっと龍宮の顔をうかがってみる。
すると龍宮と目が合った。
「どうかしましたか?」
「あっいえ・・・」
車が走りだす。
「そういえば、安藤さんって随分と猫を被っているようですね。」
「は・・・・?」
まるで世間話をするかのようにさらりと言ったその言葉の意味を鎖月は理解することが出来なかった。
「保我さん、あなたもそう思っているでしょう?あの娘、表ではあなたのことを心配しているように振舞っ
ていましたが、心の中では妬み・嫉妬・欲が渦巻いていましたよ・・・私が送っていくといったら勝ち誇った
ように喜んでいましたが先に下ろした途端あなたに対しての憎悪というものが被った猫の隙間から溢れ
出して・・本当に醜かった」
「あの・・・・先生?」
龍宮は顔色も変えずに相変わらず丁寧な口調で淡々と続ける。
「よくあのような醜悪な女を友達などと呼べますね。反吐が出ますよ」
「なっ・・・・・!?何でそんな酷いこというんですか!?」
顔を真っ赤にして激怒する鎖月に龍宮は冷笑を浮かべる。
「本当のことではないですか。貴女も気づいているのでしょう?知っているのでしょう?彼女が貴女を
自分の引き立て役としていることを」
「そんな・・こと・・・っ」
言葉に詰まる。
(だって本当のことだし・・・)
また龍宮が笑った。
さらに頭に血が上る。
まるで今自分が考えたことを知って馬鹿にされたみたいだったから・・・・
「私ここで降ります!とめてください!!」
「濡れますよ?」
「いいんです!!」
やれやれという感じで龍宮は道脇に車を止めた。
鎖月は勢いに乗って車を降りようとするが鍵を開けた途端ガチャッとしめられた。
もう一度あけるが又閉められる。もう一度・・また・・・・・もう一度・・・・・また・・・・・
「いい加減に―・・っ」
いい加減にしてください。
この言葉を言うために振り返るがそれは最後まで発せられることは無かった。
まず口をふさがれた。
相手が身を乗り出し、窓ガラスに体を押さえつけられる。
「―・・っ!?」
「あなたは・・・・」
唇を離し、頤(オトガイ)を掴んで上を向けさせられた。
鎖月には,龍宮の綺麗な顔がこの瞬間、悪魔のように見えた。
この綺麗で恐ろしいモノの目玉をくりぬいて逃げ出せたらどんなにいいことか・・・
「前髪を少し切ったほうがいい・・・・せっかくの美しい顔を出さないのは実に惜しいことです。」
優しく微笑まれた。
だから腹立たしかった。
その笑みにドキリとした自分も、いけしゃあしゃあとわけのわからないことをいって人のファーストキスを奪った
この男も・・・
「―っ・・触らないで!!」
自由になった左手が龍宮の左頬を打つ。
それと同時に龍宮の体を思いっきり突き放し、車外へと飛び出した。
降りしきる雨の中をひたすらに走る。
走って走って―・・
涙が溢れていたが雨に混じって何が何だかわからない。
「よかった・・雨で・・・・・・あっ・・・・・」
今度は近くで雷がなった・・・・
煙草に火をつけ、大きく吸い込むと煙を車内全体に広がらせる。
助手席を見ると鞄が置いたままだった。
外ポケットから学生手帳が顔を覗かせている。
何気なく手に取るとそこには鎖月と洋子が写っている写真がはさんであった。
「ちっ・・・・・」
苛ただしげにそれを放り投げる。
「何故貴女は・・・・・・・・」
「ギィィィ―・・」
金属がすれたような音がした。
龍宮の腕に奇妙な生物がぶら下がっていた。
体が赤く干からびた老人のような体をして、目は異様に飛び出しらんらんと光っている。
"嫉妬”と呼ばれる小鬼だ。どうやら彼の気に引き寄せられたらしい。
龍宮はそれを冷ややかに見るとそれの頭を掴みあげる。
「ギッ・・・ギィィィ・・・」
慌てふためくそれを握る手に力を入れる。
ミシミシッと音がする。
「ギャッ」
潰れた。
飛び散った破片や、まだ手の中でぶら下がっている肉が酸を被ったようにシューっと煙を立ててきえて
いった。
それが完全に消えた後も暫くそうしていたがおもむろにハンドルを握ると。ゆっくりと車を発進させた。
「焦ってはいけない・・・今はまだ・・まだなのだ・・」
それは自分自身に向けた言葉なのか。
その切なげな言葉は雨とともに闇に溶けおちていった。
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