二。







その日は朝から雨だった。

鬱陶しいほどの湿気がその勢いを増している。

しかしその豪雨の勢いにも負けずクラスの中は女子たちのお喋りが盛んだった。

お昼を取りながら喋る女子たちのもっぱらの話題は「教育実習の先生」のことであろうか。

洋子を中心とするお弁当グループでも盛んに情報交換がなされていた。

「龍宮先生かっこいよね〜」

「あれって絶対180以上はあるよねぇ?」

「モデルみたいだしね。彼女・・・・いるのかな?」

「いたらショック―!!でもいるだろうな・・・・」

「いないってさ。さっき聞いてきた。」

「えっ嘘!?上さんぬけがけ!?ずっるーい!!!」

「ねっねっ、洋子はどうよ?あの先生」

女子の一人が洋子に話をふる。

「んー、そうねぇ・・顔はいいけど中身はどうかなぁ・・・?今んとこ二重丸どまりってとこね。・・・鎖月

は?」

「えっ?何が?」

「龍宮先生。鎖月はああいうのタイプ?」

「えっと・・かっこいいけど・・なんかあぁいう人は・・・ちょっと綺麗過ぎて怖いかなって・・・」

その鎖月の言葉を聞いて鎖月と洋子以外の女子が口々に「セーフ!!」といった。

「何よぉ、何がセーフな訳?」

「んっ?洋子知らないの?龍宮先生、美術部担当になるんだって。ほら今顧問の先生入院してる

じゃない。大学でも美術部入ってたっていってたよ」

ぴくりと洋子の頬がかすかに動いたが誰も気付かなかった。

「あ〜あ・・私も美術部入ろっかなぁ〜・・・」

「だーめだめ。そんな不純な動機で鎖月の部に入れると思うなよぉ!!」

洋子が鎖月を抱きしめて不平を漏らすと「冗談冗談」といって皆笑った。







「ねぇ鎖月。今日私も美術室いっていい?」

そう洋子が言ってきたのはSHRも終わって帰ろうとしたところであった。

「うん、いいよ。でも洋子ちゃん部活は?」

「ん?今日雨だから筋トレだけだし。まっどうせうちらはもう3年でもう活躍することも無いからね。

さぼったってオッケーよ。」

「じゃ一緒に画描く・・・?」

「うん、描く描く!!じゃ、いこっか!!」

意気揚々と先を行く洋子の後ろに鎖月は大人しくついていく。

恐らくはあの先生狙いなのだろう。

他の女子同様に浅はかな思いを抱くのかと思ってしまった鎖月は苦笑せずにはいられなかった。



美術室の前には複数の女子がいた。

どうやら中にいる目的の人物に話しかけたいが入りづらいがために外で眺めているだけのようだ。

鎖月と洋子はその波を割って美術室へと堂々と入る。

龍宮雪人は入ってきた洋子と鎖月に気付くとニッコリ笑った。

「こんにちは、保我さん。」

「こんにちは、龍宮先生」

返事を返した鎖月に洋子の少しとげとげした視線が突き刺さってくる。

それをすかさずに感じとった鎖月は龍宮に向かって洋子を紹介する。

「先生、私の友達の安藤洋子ちゃんです。」

「はじめまして、龍宮先生。鎖月のクラスメイトで大親友の安藤洋子でっす!!」

洋子の人懐っこい笑顔に龍宮は屈託の無い笑みで答える。

「はじめまして安藤さん。今日は・・・見学・・かな?」

「はい、私陸上部なんですけど今日は雨も降ってるし、ぬけてきたんです。いつも鎖月と一緒に

帰ってるから久し振りに絵でも書こうかなぁ〜・・なぁんて思ったんですけどぉ、・・・駄目ですか?」

上目遣いの洋子にお願いされれば大抵の男はその可愛らしさにノックアウトしてしまう。

だが龍宮は余程そういうことに慣れているのか、はたまた興味ないのか、たらしなのかは知らない

が洋子のその攻撃をさらりとかわして見せた。

「かまいませんよ、道具は余るほどあるのでどうぞ勝手に使ってください。」

そういと龍宮は自分の作業へと戻ってしまった。

何ともそっけない。

仕掛けた当の本人はどのような反応を見せるのか・・・恐る恐る隣を見る・・と以外にも洋子は

怒っていないようであった。

口元には笑みさえ浮かべている。

「洋子ちゃん・・?」

小声で話しかけてみると洋子はゆっくりと鎖月に顔を向けた。

「面白い先生ね」

"絶対に落としてみせる"といわんばかりの口調だった。

「さっ描きましょうよ♪」

「うっうん・・・」

こういう場合はヘタに手出しはするものではない。

また厄介な先生が来たものだと鎖月は心の中で龍宮を呪った。



白と黒の世界だったキャンパスにゆっくりと筆をいれていく。

後ろの方で洋子が龍宮と喋っているのが聞こえたが今の鎖月にはキャンパスがすべての世界

だった。二人の声も外で龍宮を覗いている女子たちの声も聞こえない。

薄桃色の世界が徐々に広がっていく。

カランッー・・

「あっ・・・・」

筆が落ち音を立てて転がった。

拾い上げようと身をかがめよとするとそれよりも先に自分より大きな手が筆を拾い上げる。

「どうぞ。」

「あ・・有難うございます・・・」

ふと教室を見渡すと洋子の姿が無い。いつの間にか外にいた女子たちもいなくなっている。

「あの洋子ちゃんは・・・?」

「さぁ?多分御手洗いじゃないかな?」

「そう・・・なんですか・・・」

「綺麗ですね。」

「!?」

真顔でそう呟いた龍宮にびっくりしながらも、その視線が描きかけの自分の画に向いてると気付

いて鎖月はほっと息を吐く。

「あぁ・・・」

「まるで本当にそこにあるようだ。これが夢で見たものとは思えないですね・・・」

「はい、自分で言うのもなんですけどいい画になりそうです。」

心の底から感嘆するその褒め言葉に鎖月は気分をよくする。

「こういった場所に行ったことは・・・・?」

「ありません。何度も何度も夢に見るだけです。でもどこか懐かしい・・・・引きとられる前にでもいっ

たのかもしれません、覚えてないだけで・・・・あっ」

反射的に口元に手をやる。

「すいません・・変なこといってしまって・・・」

「いえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・養女・・・・なんですか?」

好奇心が勝ったのだろう。すまなさそうな顔で聞いてきた龍宮に苦笑して答える。

「はい。二歳のときに孤児院から。母は・・産めませんでしたから・・」

「そうですか・・」

龍宮の顔が沈む。

「あっあのっ・・そんなに気にしないで下さいっ・・大したことじゃありませんから。」

「辛くは無いですか?」

その言葉がずしりと心にのしかかる。

「・・・つらい・・です。でも血がつながってなくても"親子”だし。お母さんは優しいし。それに・・・洋子

ちゃんもいますから。」

うつむいてその言葉を呟く鎖月にはその時の龍宮の顔を見ることは出来なかった。

いや、見ない方がよかったのかもしれない。

男の美しい顔は仏教の阿修羅のように憤怒していたからだ。

しかしそれは一瞬だけであったが。

「・・・・・そんなにあの娘が大事ですか?」

一気に温度が下がったような気がした。

背筋がぞっとするような冷たい声に鎖月は顔を上げる。

「え・・・・?」

「そんなにあの娘が大事なのですか?」

龍宮と目が合った鎖月は動くことが出来なかった。

いや、動けなかった。

春の暖かさのようなあの笑みは何処へ消えたのか。

いてつく真冬の冷たさがその顔を覆っていた。

「先・・生・・・?」

ここから逃げ出したくなる衝動。

でも動くことが出来ない。

クスリと龍宮が微笑した。

でもそれはとても冷たいもので・・・

「どうしましたか?顔色が悪いですよ、”保我鎖月さん”」

名前を呼ばれたその時、目眩がした。

頭に一瞬にしてすべての血が上ったような。

体が熱い。

龍宮の手が伸び、鎖月のアゴをとらえる。

目がかすんできた。

薄れる意識の中で近づいてくる男の顔と声を聞いた。

「本当に貴女は酷い方だ・・・」

視界が真っ黒になった。