「おや、これはこれは東方将軍殿」

 回廊の角を曲がり、進行方向からかけられた声に顔を上げれば−・・リーシェは

 内心呻かざるおえなかった。

 宰相閣下のお部屋まであと少しだというのに・・・まったくなんとタイミングの悪い

 ことだろう。

 「レクンウェルト卿」

 この時ばかりは笑みをたたえ一礼できた自分をほめてやりたいものだった。

 取巻きを数人引き連れ、後ろに撫で付けた白髪頭・年老いても曲がることなくのび

 ている背筋−・・どちらかというと偉そうに胸を張り出しているともいえるのだが・・−

 いつも皮肉気な笑みを顔に貼り付けているこの老人、名をアーピンス・フィアント・

 レクンウェルトという。

 十三貴族の第二席貴族ヴァイアリース族筆頭レクンウェルト家の現当主だ。

 「お急ぎのようで−・・流石此度の親善大使付親衛隊長に任ぜられただけのことは

 ある。ご多忙痛みいりますぞ」

 「恐れ入ります」

 さっさと立ち去ってほしいものだが相手は十三貴族ー・・現議会副議長を務める

 大物だ。将軍と十三貴族は同等の立場にはあるがおいそれと蔑ろにできる相手で

 はない。

 「もしや宰相閣下に?」

 「えぇ。此度の任務の件でお呼びを受けましたので」

 「それはそれは、今しがた私共もお話をさせていただいていたばかり・・丁度よい、

 鉢合わせせずにすみましたな」

 「えぇ、そのようですね」

 「おっとそうでした、忙しいところを引き止めてしまったようで申し訳ない」

 わざとらしい笑みにリーシェは嫌悪感を覚える。

 「いえお構いなく」

 「此度の神界との交友、上手くいくことを切に祈っていますぞ。あぁそうそう−・・」

 表面上穏やかに終わるかと思われた会話はレクンウェルト卿が立ち去る瞬間、

 彼自身によって"毒"へと変えられた。

 「貴公が分化前でなくて本当によかった。あちらでは両性などという種族は存在し

 ないそうだ。両性のままなら奇異に映ってしょうがなかっただろう−・・くれぐれも

 醜態だけは晒されぬようお願い申し上げるよ」

 そこまでいってやっと満足したのか彼は嫌な笑みを貼り付けたまま取巻き連中と

 共にその場を去っていった。

 ―・・その時、建前上の笑みがしっかりと顔に貼り付けられていたままだったかどう

 か・・・・リーシェははっきりと覚えていなかった。



                         *



 そもそも十三貴族とは、魔界における十三の種族の純血を保ち続けている本家筋

 の貴族たちのことを指す。

 そして代々その当主たる者が十三貴族筆頭として議会に参加できるのだ。

 ちなみに各種族に与えられている一から十三の位は特に種族同士の優劣や

 血の古さによって決められているものではない。

 "十三貴族"という制度の成り立ち自体は、魔界が成り、命が成り−・・やがて"力"

 だけの世界から秩序をもった"国"という一つの集団と成ったところで初めて確立

 された制度である。

 その時、中心となって動いた種族を筆頭にその体制に参加していった順に位が

 与えられているのだ。

 いうなれば位階が一に近いほど政に積極的で十三に近くなるほど政にはあまり

 興味がない種族−・・貴族となる。

 現に第十三位ギヌス家は滅多に王都へ登城することなく自領に閉じこもってばか

 りだというし、第十二位に位置するディール家にいたっては諸々の事情により本家

 が不在−・・第十二席は空席となっている有様だ。

 そして第一席と第二席−・・現十三貴族において二大派閥を成し、対立している

 ヒーリュリント家とレクンウェルト家。

 特に現レクンウェルト当主マーピンス・フィアント・レクンウェルトのヒーリュリント派

 への敵対心と、第二席という位にいることに対する優越感は凄まじいものだ。

 (―・・だから目の敵にされやすいのでしょうね。)

 レクンウェルト卿に先ほどのような嫌味つらみを吐かれるのは毎度のことだ。

 将軍になりたてのころはそれはそれは酷かったものだ。

 顔をあわせるたびに嫌味の大嵐−・・ここ数年はバディとのことでそちらに心労を

 裂く余裕などもなかったし、気にも留める余裕もなかった(というよりはバディとの

 件のほうが重くて彼から嫌味を言われても全くもってこたえることなどなかったと

 いったほうがいいだろうか)

 あちらも手応えがないのに気づいたのか嫌味をいう嫌がらせをするなどの回数

 は減っていたのだが、・・・・・どうやらこの数週間でそれもぶり返してきたらしい。

 位階は第八位と自分よりも低く、かつヒーリュリント派、数ある種族の中でも異類と

 呼ばれるサラン族の出で、本家どころか分家の端くれといってもいいような血筋か

 ら二人も自分たち十三貴族に並ぶ立場の将軍職に選ばれた−・・彼が私たちを

 気に入らない理由なぞあげればきりがない。

 そして特に彼の鼻につくのは私たちが−・・いや私がだろうか、職務以外で陛下や

 レディ・マリアと懇意にしていただいているということ。

 特に先日の私の分化騒動以来(公にはされていないが議会の面々には報告され

 ている)他の貴族たちからも一目置かれるようになった。

 あのようなことはまれにない−・・いや実際はあってはならないことだ。

 陛下は余裕綽々の顔でなしてみせたがあれは本当に危険なこと、失敗すれば自ら

 の命をおとしかねない、それ程の大事だったのだ。

 命を賭して配下の命を救う−・・美談に聞こえるがだがあの方は魔王だ。

 将軍も魔界にとってはなくてはならない"柱"の一つではあるが、しかし万が一の

 ことがあっも"代え"がきく存在でしかない。

 ―・・だが魔王は違う。そうそう挿げ替えれるようなものではない。

 傍から見ればそれは只の主君と家臣の関係ではないのではないか。

 目に見えてそういった浮ついた噂というのは広まりつつある。

 そう思われてもいたし方がないことだろう−・・だが

 (無粋なことを考える・・)

 確かに陛下は自他共に認める遊び人だ。色気を振りまいては男女構わずとっかえ

 ひっかえなんてことは珍しくも何ともない。

 だがしかし何もみさかえなしというわけでもないのだ。

 公務に支障をきたさない身分のもの、関係を持ったからといって後々に厄介なこと

 にならない相手を(一応は)選んでいらっしゃる。

 −・・だからこそそんな噂などありえないのだと言い切ることができる。

 私は陛下を臣下として敬い、お慕いもしている−・・しかしそれは魔族として至極

 当然の感情だ。蜜に群がる蟻のように、魔族は魔王に惹かれる。求めて止まない

 至高なる存在、それが魔王。

 そして陛下は私に"信頼"をおいてくださっている−・・私はそれに何としても応え

 なければならない。それこそこの命に代えてでも。

 それだけのことだ―・・私はもう一度自分に言い聞かせる。

 私が第一に考えなければならないのは"それだけ"−・・だから毒を孕んだ他者の

 声など一々気にしている必要などなどないのだ、と。

 幸い、といっていいだろうか。この神界行きのおかげで当分レクンウェルト卿とは顔

 をあわせずにすむ。

 これで煩わしい思いなどせず、暫くは心置きなく任務に就けるというものだ−・・



 考えをそこでまとめ終えた私は、ようやくたどり着いた執務室の扉をノックした。
 














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