北の領土は深い深い雪が降り積もる氷の大地でもある。
 
 "北方領土"が長きに渡って"空席"のこの地では気候が乱れ、力の均衡を保ててないために魔物
 も多く出没するのだ。
 魔界において"四代将軍"とは軍隊を取り仕切る長としてだけではなく、この魔界の均衡を保つため
 の大事な要の一つでもあるのだ。

 この魔界を巨大なダムと仮定するとしよう。"魔王"はその中に溜まった膨大な水である。そして将
 軍たちはそれを取り囲む"壁"であるといえるだろう。



 北の大地にそびえ立つあろ山脈の麓-・・そこに東方軍はキャンプをつくって駐屯していた。
 城を出て半月ばかり-・・その内半分を移動に費やしているが七日も前から東方軍はここに足止め
 されたままだった。

 この猛吹雪のせいだ-・・御蔭で予定していた全行程の六割ほどしか進んでいないことになる。


 (後はこの山脈を越えるだけだが・・)


 リーシェは高くそびえ立つ雪化粧を施した山脈を見上げた。
 ここさえ越えれば当初予定していた野営地点までは目と鼻の先なのだ。
 だが予想以上に荒れているこの気候では、いくら耐久性に秀でている竜たちでも飛ぶことは困難
 だろう。

 
 (それに・・)


 今回の遠征でここまで来るのに七度も魔物の群れと遭遇-・・応戦したのだ。
 おそらくリーシェたちが思っている以上に魔物の進行率は予測数値を上回っているのだろう。
 もしかしたらこの山脈のすぐ向こうは魔物達で溢れかえっているかもしれない。
 もしそうならば、例え無茶をして竜たちを飛ばしてこの山脈を越えたところで大きく痛手をこうむる
 のはこちらの方だ。
 ここは慎重にことを進めるべきだろう。


 「―・・将軍!!」


 その声に後ろを振り返ればこちらに走りよってくる女性騎士が一人-・・副将軍でもあるセス・ローラ
 ンドだ。

 
 「どうかしましたか、セス?」

 「はっ。-・・偵察隊が戻ってきたのですが・・・」

 「あぁ・・何かわかりましたか?」

 「はい。やはり当面は無理のようです。山脈を上がるにつれて吹雪が増すようでして。」

 「そうですか・・」

 「最悪の場合、竜をここにおいて徒歩にて行軍となるやもしれませんが・・・?」

 「いえ、なるべくならばソレは避けたいものですね。竜も貴重な戦力です。―・・実際問題、今回の
 遠征では一体どれだけの魔物と戦闘を行えばよいものか計りかねます。できるだけ戦力は多く欲し
 いものです。先を急いで被害だけ多く出しても困りますしね・・―・・兵糧のほうはどうですか?」

 「あと二ヶ月ほどは行軍できる貯蔵はあります。」

 「そうですかー・・それならば暫くは持つでしょう・・・・・ですが」


 リーシェは暫し考えた後、顔を上げた。


 「貴女の言う通り、いつまでもここに足止めされていては元も子もありません。後五日-・・後五日し 
 ても天候が回復しない場合は強行軍です。―・・竜を半分残して進むことにしましょう。セス、今の
 内により体力のある竜を選び抜いておいてください。」

 「はっ-・・」


 セスは敬礼すると早速r手配にかかろうと背を向けた。
 だが彼女はふと足を止めると何かいいたそうな顔で振り返った。


 「あの・・将軍・・」

 「はい、何でしょう?」

 「あの・・・お体の方は大丈夫ですか?」


 声を潜めて聞く彼女の様子にリーシェはくすりと苦笑した。
 彼女がいっているのは体調云々ではなくリーシェの体の変化のことだろう。


 「えぇ、大丈夫ですよ。望月は半月も前に過ぎましたからね。あと少しで朔です。-・・山越えには
 丁度いいタイミングでしょうね。」


 何分、見た目に対した変化はないにしろ、体力的な点から見るとやはり男性体のほうが弱冠では
 あるが都合がいいのだ。


 「そうですかそれは良かった・・しかし将軍、遠征中はくれぐれもお気をつけ下さい。あってはならな
 いことですが兵の中には不埒なことを考えるやからも少なからず存在しているのですから。」

 「えぇわかっています、そんなに心配しなくても大丈夫ですよセス。」


 彼女のいうことにも一理あるだろう。
 "魔物の討伐"ともいえでもこれは"戦"でもあるのだ。
 昨今、軍部に女性が多く進出してきてはいるもののやはりその数は男に比べると少ない。
 この殺伐とした空気の中で何ヶ月も過ごすとなればやはり"餓え"は生じるものだ。
 精神が不安定になり突拍子もないことをする輩も少なくはない。
 いくら統率された軍であっても・・だ。
 -・・そしてそれは特に階級が下がるにつれ気配が強くなるものだ。

 リーシェとてこの地位に上り詰めるまでの間、身の危険にさらされそうになったことなど何度もあるの
 だ。
 サラン族ということだけで興味と好色の視線はやむことを知らなかった。

 一度だけ-・・一度だけ本当に危なかったことがあった・・
 あの時は本当に目の前が真っ暗になってしまいそうで・・あの時バディが助けてくれなかったら
 一体どうなっていたことか-・・そう・・まだあの頃は彼は自分の側にいて・・・


 「将軍・・・・・?」

 「あっ・・・」


 セスの声にリーシェは我に返った。
 
 いけない。こんなときに何を考えているのか・・・
 過去に思いを馳せても決して戻れるわけではないのに。


 (無駄なことをする・・今更何にすがりつこうとしているのか私は・・)


 「ご気分が悪いのですか?顔色が宜しくありませんが・・・暫く休まれては如何ですか?」

 「いえ、大丈夫ですよセス。」

 「しかし将軍、遠征に出てからというもののあまりお休みになられていないではありませんか・・・・
 お願いですから暫くお休みになってください。」


 力強く休息を勧めるセスについにリーシェはおれた。


 「・・・わかりました。では暫く休まさせていただくとしましょう。何かあったらすぐに私に報告してくだ
 さいね。それとー・・セス、むしろ気をつけないといけないのは貴女のほうですよ?」


 困ったように念を押すリーシェに、彼女は明るく笑うとその背をぐいぐいとテントの方へと押していっ
 た。


 「万事ぬかりありませんよ、将軍。さっ-・・早い所お休みになってください。あっ」


 そこでセスは何かに気付いたように声を上げる。


 「-・・ピアス、新しくされたんですね。」

 「え?―・・あぁ、えぇ。」


 銀糸の髪の間から黒水晶のピアスがキラリと光る。


 「恐れ多くも陛下から遠征式の折に頂いたものなのですよ。至高なる"黒"を身に付けるのは気が
 ひけるのですが・・・やはり似合わないでしょうか?」

 「いいえ!!」


 照れ臭そうに首をかしげたリーシェにセスはすぐに否定の声を返した。


 「-・・とてもよくお似合いですよ、将軍。」

 「ありがとう、セス。」


 耳元の黒水晶が揺れてキーン・・と静かな音を立てた。

 そのどこまでも透明な音はとても気持ちがいい・・と。そう思った。
 聞くだけで僅かに揺らいでいた気持ちが静まるようだ・・


 ー・・落ち着く。


 リーシェはテントに戻るとそのまますぐに深い深い眠りについた。
 

 眠るまでの間、黒水晶はその音を鳴らし続けていた。
 まるでリーシェを慰めるかのように・・その音はその身体を包み込んでいたのだった。





 

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