―・・出立の朝。 地上には僅かに霧が立ち込めていたものの、空は変わらずに赤黒い霧があったが、顔を出し始め た太陽の光によりそれはいつもより一層、赤を鮮やかに見せていた。 まるで東方軍の出立を祝福しているかのようだ。 その日は、日も昇らない早い刻から遠征を見送る国民が城門前に集まり、賑わいを見せていた。 門の内側―・・城の広場には蒼い旗を閃かせた東方軍の一団が綺麗に整列されていた。 そしてその鮮やかに広がる蒼の先頭―・・そこいるのは白銀の将軍。 髪と同じ色で創られた鎧を身に纏ったリーシェは壇上に座る陛下の前へと歩み寄ると最上級の敬礼 をみせた。 リーシェの高めの声が広場に響き渡る。 「―・・我等東方軍、この命、この身、全て陛下に捧げる所存に御座います。我等が"存在"全てを かけこの魔界の平穏のために全力をとして闘い抜くことをここに宣誓いたします。―・・ご命令を魔王 陛下」 「近う寄れ、東方将軍。」 「はっ―・・」 いつもとは違った―・・"魔王陛下"としての威厳に満ちた低い声に呼ばれ、リーシェは壇上を上がる 。 陛下の座る椅子の一段下までくると白銀のマントをバサリと閃かせ優雅に跪いた。 それに続いて横に控えていた宰相が動いた。 陛下の横に歩み寄ると手に持っていた書簡を恭しく手渡す。 それを受け取った陛下は立ち上がると手にしたそれを広げ朗々と読み上げた。 漆黒で統一された豪奢な衣装を纏ったその姿は凛々しく、雄雄しく―・・そして何よりも美しかった。 広場に集まる全員の視線が只一人に注がれ、そして誰もがその美しさに魅入り、その声に酔うのだ 。 「―・・東方将軍リーシェ・ヴァン・ベトヴェニス・ラードン・シンシア。東方軍全三万を率いて北の大地 へ討伐に赴くことをここに任じ、命ずる。」 「はっ―・・ありがたく、拝命承ります。」 読み上げた令状を再び丸めると、両手を頭の上に挙げ控えるリーシェのその手の中にそれを納めさ せた。 そしてその少しの間―・・その間に陛下はリーシェの耳元へとそっと顔を近づけるとこそっと囁きかけ た。 「夕べは良く眠れたか?」 「はい。」 ―・・実の所これは嘘だ。 結局一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。 (折角陛下たちがお気遣いくださったのに・・私は・・あんなことで・・) つくづく自分の弱さがいやになる。 「―・・悩みに染まるその顔も美しいが遠征前だ、兵士達にそんな顔を見せてはいけないな。」 陛下の言葉にリーシェははっと我に返る。 しまった―・・今は大事な式の途中なのだ。 「もっ申し訳―・・」 失態だ。 謝罪をしようとするリーシェの肩を陛下はぽんっと一度叩いた―・・そして。 「今日も美人だなリーシェ。」 「!?」 緊張感のない、突然のその言葉にリーシェは唖然とし思わず赤面する。 その様子を見て陛下はにっと口元を軽く吊り上げて見せた。 「そなたらに武運を。―健闘を祈るぞ。」 「は―・・はっ!!」 慌てて頭を下げる。 ふと、そこで違和感―・・掌に何か・・・ 令状を握っている手の中にはもう一つ別の異物が握られていた。 小さな黒水晶でできた片方だけのピアス。 リーシェははっと顔を上げる―・・すると椅子に座りなおした陛下と目が合った。 陛下は軽くウィンクをしてみせた。 「―・・レディ・マリア様より、騎士に祝福を賜ります。レディ・マリアどうぞ前へ」 宰相の声によって並び立つ王族の列の中から小さなレディが歩み出た。 淡いピンクのドレスに身を包んだその姿は幾万の観衆に同じることなくピンと背筋を伸ばしてリー シェの前へとやってきた。 彼女は壇上の陛下に一礼するとリーシェのほうへと向きを変える。 「騎士に祝福を―・・お顔をお上げなさい、リーシェ・ヴァン・ベトヴェニス・ラードン・シンシア。」 「はっ―・・」 幼い声に従い顔を上げると、そこには微笑む少女の顔。 ちゅっと可愛らしい音を立ててリーシェの額に口付けが落とされた。 「頑張ってねリーシェ。」 「はい、マリー様。」 小声で語り掛けられリーシェも静かにそれを返した。 「ね、それ貸して?」 「え?」 「付けてあげるわ。」 マリーがリーシェの手にあったピアスを手にとった。 「これはお兄様からの"お守り"よ。―・・必ず無事に帰ってきてね。」 最後にぎゅっと手を握られた。 気遣わしげなその顔にリーシェは心配ないと言い聞かせるように微笑みかけた。 「大丈夫ですよ。―・・私は必ず帰ってきます。」 首をかしげた拍子に揺れた銀髪の合間から黒水晶が日に照らされてきらりと輝いた。 小さな手の甲に口付けを落とす。 「必ず―・・約束です。」 ばっとリーシェは立ち上がった。 広がる蒼に向かって声を張り上げる。 「東方軍、出立―・・!!」 * それから一ヶ月半がたとうとしたある夕刻―・・ 夜の帳を迎えようとした"夜の城"はその静寂を突如打ち破られることとなった。 その"ざわめき"はすぐに魔王陛下の知ることとなった・・ * 「―・・?何だ?やけに下が騒がしいな。」 執務室で書類を整理していた陛下はふと顔を上げると窓の外へと目をやった。 その様子を見て隣に控えていた宰相もその気配に気付き同じく首をかしげたのだった。 「そのようで―・・何かあったのでしょうか・・みてまいりましょう」 そういって部屋の外へと出て行こうとした宰相を陛下は呼び止めた。 「まて―・・誰か来る。」 続いて執務室の扉が勢いよく開かれた。 大きな影が飛び込んできた―・・獣面のその影は南方将軍ハロルドその人であった。 「失礼します陛下!!」 「何事ですか南方将軍。あなたらしくもない何をそんなに慌てているのですか。」 余程慌てて走ってきたのか、その毛皮で覆われているからだが大きく揺れながら呼吸を繰り返 していた。 「どうした、ハロルド。―・・何があった?」 そのハロルドのただならぬ様子に陛下はすっと双眸を細めた。 「はっ―・・只今北の大地に遠征に赴いておりました東方軍の先発隊が戻ってきたのですが・・」 なるほどさきほどから城が慌しいと思えば東方軍が戻ってきたのか。 先発隊が戻ってきたとなると本体の方もすぐにこの都へと足を踏み入れるだろう―・・だが。 (その程度のことでここまで慌てるとは思えんな・・) 「南方将軍、続きを。」 「はっ―・・」 言葉を僅かに詰まらせたハロルドは、獣特有のうなり声を喉元でかすかにならしながら次の言葉 を口にした。 「ちっ―・・」 「陛下!!」 そしてその言葉を聴いた瞬間陛下は大きく舌打ちすると宰相のとめる声も聴かずにその場からあっ という間に姿を消したのだった。 ―・・東方将軍が瀕死の状態で戻ってまいりました。 Back NEXT |
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