「へっ陛下!?何故このようなところに!?」

 「お前、ほんっとぉぉに軽いなぁ。ちゃんと食ってるか?」

 「え?えぇ・・・・じゃなくて!陛下もう大丈夫ですから!!降ろしてください!!陛下のお手を煩わせ
 るわけにはいき-・・」

 「そんな固い事いうなよ、リーシェ。お前はおとなしく掴まってればいいの。」


 慌てふためくリーシェの様子が面白いのか、くつくつと喉を鳴らしながら陛下は笑い有無を言わせず
 にそのまま岸へとリーシェを担いで戻っていく。

 
 「ほら、マリー。もう飛ばされるんじゃないぞ。」


 片手に持っていた帽子がマリーの小さな頭にすぽんっと被さられる。


 「ありがとうお兄様!―・・ごめんなさいリーシェ!本当に大丈夫だった?」

 
 岸につきやっと陛下の肩から降ろされたリーシェの胸にマリーが飛び込んでくる。
 リーシェは小刻みに震えるその背中を優しく抱いてあげるとその柔らかい髪をゆっくりと手櫛で梳い
 ていく。


 「えぇ私は大丈夫です、マリー様。だからお泣きになられないでください。リーシェも悲しくなってしま
 います。」

 
 リーシェの優しい声にマリーはうんうんと何度も頷いた。
 そんな彼女を抱いたままリーシェは隣に立つ陛下に顔を向け頭を垂れる。


 「―・・陛下、お手を煩わせてしまい真に申し訳御座いません。何と御礼を申していいのか・・」

 「本当に堅苦しい奴だな、お前は。一言"ありがとう"って言えばすむことだろう?」

 「陛下・・それでは臣下としての質が問われるというものですよ。」


 相変わらずの陛下のきさくさにリーシェは多少苦笑しながらもその場に立ち上がった。


 「・・・・・・・・・・・・・ところで陛下、陛下は何故このようなところに?今は御公務の最中では・・?」


 首をかしげるリーシェに、陛下はん?ととぼけた顔をすると


 「勿論―・・サ・ボ・リv」


 とにこやかな笑顔で応えた。

 リーシェははぁぁぁ・・と脱力する。
 またか・・またなのですか・・おめでとうございます陛下。これでサボリ記録が新記録を打ち出しまし
 たよ。今月通算13回目・・あぁ13・・何て素晴らしい数字なのでしょうね・・・
 また宰相閣下の胃に穴が開くのだろうな・・と思うといささかいたたまれない気持ちになるリーシェ
 だった。


 「陛下・・・・・・」

 「ははははは。そんな顔するなよリーシェ。いつものことじゃないか!」

 「―・・さも"サボリ"を正当化するような笑い方はやめてください陛下!!」

 「そうよお兄様。マリーだってちゃんとやることをしてから遊んでいるのよ。お兄様だけずるいわ。」

 
 横でマリーが"ずるいずるい"を連呼しながら頬を膨らませる。
 多勢に無勢。
 

 「ちっ・・今回はマリーもそっちの味方か・・・」


 計算外だったな・・と舌打ちした陛下は、おもむろにひょいっとマリーを抱きかかえた。
 
 
 「だが―・・今回ばかりはいつものサボリとは訳が違うぞ。」

 「陛下?」「お兄様?」

 「―・・今回はハールウェイの許可を取った上での外出だ。」


 その言葉に二人は顔を見合わせると声をそろえて


 「「嘘だ!!!」」


 と、叫んだ。
 あっさりと否定された陛下はうぅっとうめくと何処か寂しげに呟いた。


 「いや・・・本当だって・・・」

 「だって・・・・・えぇ?あの宰相閣下がですか?公務がぎっしぎしにつまったこの時期に?」

 「そうよ!毎年この時期はお兄様だって執務室に缶詰で・・・脱走するしか自由になれる時間がと
 れないほど忙しいこの時期に!?まさか・・・・・・ハーリィは病気じゃないわよね?」

 「いや、あいつはいたって健康体だ。」

 「「じゃあ何で!?」」


 二人とも見事に息が合っている。
 うぅむ感心関心・・・・


 「まぁといっても許された時間は一刻なんだがな。―・・下手に脱走されて半日公務をストップさせ
 るより多少息抜きを与えたほうが効率がよっぽど"マシ"です―・・なんだとよ。」


 おぉ・・考えましたね宰相閣下。
 でも陛下のことですからその内すぐに"こんな短い時間じゃ息抜きにもならん!"といってまた更新
 をぬりかえられると思いますよ・・・?と心の中で密に城に残る宰相閣下に進言してみたりする。


 「まっそれに丁度リーシェにも用があったしな。」

 「私に・・・?ですか?」

 「あぁ。―・・お前、遠征出発はいつか覚えてるか?」

 「えぇ。明朝ですけれども・・」


 それが何か?とリーシェは首をかしげる。
 すると陛下は"やっぱりな・・"と呆れたように嘆息をつき、マリーのほうはポカンと口を開けてこちら
 を凝視している。


 「リーシェ!?本当なのっ!?」

 「え?えぇ、マリー様。申し訳御座いません。そのことは本日お伝えしようと思っていたところでした
 ので・・」

 「こんなことしてる場合じゃないじゃない!!」

 
 叫ぶマリーの言葉にリーシェは、はて?と首をかしげる。

 てっきり暫く遊べないことに対しての怒りの声かと思っていたのになにやら今のマリーの怒り方は
 違うことに対してかのようだ。


 「準備は!?リーシェあなたったら遠征の前日だというのに私と遊んでて大丈夫なの!?」

 「?えぇ・・・支度は全て整っていますし後残っていることいえば"簡単"な書類作業だけですから・・
 それは帰城したあとにでも片付ければ出発直前には終わるでしょうし・・」


 だから何も問題はありませんよ?と再び首をかしげたリーシェに今度は二人揃って呆れ果てたと
 いうように盛大に溜息をついた。


 「お前・・・帰ってからやるって・・・・アレだけの書類を一晩で片付けようってのか?よくそんなことが
 サラッといえるな・・・ある意味うらやましいぞ。」

 「あぁっ!!リーシェ!リーシェあなたって言う人は―・・もうっ!!」


 ますますわからない。マリーは何をそんなに憤慨しているのか。


 「マリー様?陛下?」

 「まっそういうことだ。マリー、後は俺で我慢してくれ。」

 「えぇ。えぇ勿論ですともお兄様。私も是非そうしてほしいわ。さっ早い所帰りましょう。」


 何が一体どういうことなのか・・さっぱりわからないリーシェを尻目に二人はどんどんと会話を続けて
 いく。


 「全く・・リーシェってば人がいいって言うか何というか・・」

 「マリー様?」

 「―・・サクッと帰るぞ」

 「!?」


 有無を言わせずリーシェの身体は再び陛下の腕(かいな)の中に収められた。
 

 「へっ陛―・・」


 ぐにゃり―・・と景色が歪む。平衡感覚がなくなる独特の浮遊感。
 周りに生暖かい風が生まれた。

 ―・・空間転移。
 
 それは魔界でも限られた上位魔族にしか扱うことの出来ない最上級魔導。
 リーシェもその数少ない使い手の一人ではあるが陛下のように”印”も”言”も必要とせず、ただ息を
 するかの如く自然に、簡単に行えるわけではない。

 普段は(黙っていれば問題はないのだが)おちゃらけていてどうにも腰が落ち着かない御方ではあ
 るが、こういう時、この方はこの魔界で只一人の崇高なる魔王陛下であらせられるのだと実感させ
 られる。


 瞬きを数度繰り返すとあっという間に三人の姿は城の回廊の一つにあった。


 「―・・よっし到着っと。リーシェ、寄り道なんぞせずにまっすぐ部屋に帰れよ。」


 陛下の腕から解放されたリーシェはその頭をぽんぽんっと軽く叩かれ、まるで幼子にいいきかせる
 かのようなその言葉に思わず苦笑を洩らしてしまった。


 「はいー・・陛下、この度は重ね重ね・・・本当に有難う御座います。」

 「本当にお前って奴は・・・律儀な奴だな。」

 「そうよ、リーシェ。お兄様は仕えるときにこき使わなきゃ駄目よ。普段が”ボンクラ”なんだから」

 「・・・・マリー様・・」「マリー・・・」


 少女の言葉に二人からは”それはないだろう”という言葉が出た。

 マリーはクスッと意地悪そうに笑うと陛下の腕(うで)の中からリーシェの頬にへと手を伸ばした。


 「―・・リーシェ、私リーシェのこと大好きよ。私との約束もちゃんと守ってくれるし・・でも無理はしない
 で。出立の前日に私と遊んだせいで遠征先で不備でもあったら嫌ですもの。今日はもうゆっくりと
 休んで頂戴。ね?お願い、リーシェ」

 「マリー様・・」


 頬を優しく小さなこの手は何て暖かくて慈愛に満ちているのだろう。


 「―・・御意、レディ・マリア」

 「そ・れ・と!明日の出立には絶対立ち会うからね!!黙って出て行っちゃ駄目よ!!お兄様も!
 絶対に起こして頂戴ね!!」

 「わぁかってるって。ちゃんと起こしてやるから―・・耳元でそう怒鳴るなよ。」

 
 ―・・本当にこの二人はよく似ていらっしゃる。 

 二人の心遣いに気付き、感謝の気持ちで胸がいっぱいになったリーシェは深く頭を下げ、二人の
 その後姿が見えなくなるまでその場に立ち尽くし見送った。


  「さて―・・」

 
 このまま行けば当初の予定も大分早く片付くことだろう。
 睡眠時間も少しは取れそうだ―・・二人の言葉に甘えて明日からのためにしっかりと寝ておくか・・

 幸いこの回廊はリーシェの隊舎へと直結しているものだ。
 そのまま身体を反転させ二人が去った方向とは真逆の方へと足を進める。


 「―・・いいご身分だな。」


 ピタッ―・・と足が止まってしまった。


 「バディ・・」


 突如柱の影から姿を現した人物の登場に驚きを隠せず思わず彼の名を呼んでしまう。
 ―・・するとその瞬間にその眉間の皺がより一層不快気に顰められた。

 リーシェは慌てて”西方将軍”といい改める。

 
 「このようなところで何をしておいでです?何か御用でも?」


 この回廊はリーシェの隊舎―・・つまり東方軍の隊舎へと続く専用回廊だ。
 彼の西方軍の隊舎へはまったく別の回廊を使わなければならない。
 東方軍に何か用があれば使うのも納得いくが―・・生憎と何か用があっても彼自身が出向く事など
 一度足りとてなかった。
 それが何故・・?

 だが彼は応えることもせず、更に顔を険しくさせる一方だった。


 ―・・こういうときは何を言っても無駄だろう。


 経験上それを身に持って知っているリーシェはそれ以上追求することはせず、ただじっと彼の言葉
 を待つことにした。


 「貴様は―・・」


 やがて長い沈黙の後に彼が口を開いた。
 さて・・今度は一体どんな罵詈雑言が飛び出してくるのやら・・・


 「本当に醜くて浅ましい存在だな。―・・レディ・マリアまででもなく陛下にまでも色目を使うなどとは
 ―・・」

 「―・・何ですって?」


 どんな誹謗中傷も耐えるつもりだった。今までもそうだったのだから今回も肯定して彼に自分を嫌悪
 させるつもりだった―・・

 だが今のは聞き捨てならない。

 色目?誰が?私が?誰に?マリー様と―・・陛下に?


 「はっ―・・」


 馬鹿馬鹿しい。実に馬鹿馬鹿しすぎて思わず鼻で笑ってしまった。


 「―・・西方将軍、どうやらあなたは随分と想像力が豊かなようで・・」

 「何だと?」


 バディのこめかみがピクリとひくついた。


 「違うとでも言いたいのか?」

 「私がいつ陛下たちに”色目”を使ったというのですか。」

 「はっ―・・自覚がないというのは恐ろしいものだな。それとも白を切るつもりか?陛下も陛下だ。
 全く・・・何故このような出来損ないを構われるのか・・大方貴様が陛下やレディ・マリアをたぶらかし
 お目をくもらせたのでは―・・」


 パンッ―・・

 回廊に高く乾いた音が反響した。


 「西方将軍―・・」


 打った右手がヒリヒリと痛む。
 怒りのあまり語尾が震え、口調もいつもよりも冷たいものへとかわっていくのがわかった。


 「―・・私は・・・私は何を言われようと一向に構いませんが陛下たちを貶めるような発言はおやめな
 さい。今のはお二人に対する侮辱ですよ。」

 「なっ―・・」

 「あの方々は我等が上に立つお方。私のようなモノにたぶらかされる筈などあるわけがないでしょ  う。―・失礼する。」


 一気にそこまでまくし立てるとリーシェはバディの横を素早く通り過ぎようとする。


 「まてー・・!!」

 
 がしっ―・・とすれ違いざまに二の腕を捕らえられた。


 「っ!―・・放してくださいっ!!私は―・・」


 リーシェは反射的にその腕を大きく振り払った。

 掴まれたところが痛くて―・・熱い。
 振り払った腕の向こうに大きく見開かれた眼があった。

 ―・・何故そんな眼をするのかっ
 

 「―・・私は男娼でも・・・ましてや娼婦でもない!!」


 大声でそう叫ぶとリーシェは駆け出した。
 
 後ろを振り返ることもせず、ただひたすらに全速力で走って―・・


 部屋に戻ってベッドの上にそのまま倒れこむ。

 やることをすましてからゆっくり寝よう―・・そう思いながら天井を仰ぎ見る。


 あぁ・・そういえば―・・


 ふと考える。


 彼にあそこまで強く反論したのは今日が初めてだったかもしれない―・・と



 












 

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6.