その想い。その形。

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時がたつのは本当に早いものだ。ここにきてから本当にそのことを実感させら

れる。

季節はいつの間にか梅雨を経て春から夏へと変わり始めようとしていた。

―・・三月(みつき)が過ぎようとしている。それは新たな兆しを見せ始める"時

"である。        




                        *




「フランツ様、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

少し動けば汗ばむようになってきた天気のよい、昼下がりの午後。

恒例となった二人だけの"秘密のお茶会"は例のごとく東屋にて行われていた。

最初の頃は侍女たちの目を盗んで抜け出してここにくるのも一苦労ではあった

が、すっかりそれにも慣れてしまった。

最近では彼女たちもロディが抜け出すことに動じなくなって来たのか黙認されて

しまっている。

「私に答えられることであれば喜んでお聞きしますよ、姫君。」

ロディが手ずから淹れた紅茶をゆっくりと味わいながらフランツは頷いた。

東屋の小さなテーブルの上には二人分の茶器と少しばかりのお菓子が並べられ

ている。

途中からロディに乞われ、これを持ってくるのはフランツの役目となっていた。

・・・本当は男性に、ましてや騎士様にこのようなものを用意させてしまうわけに

はいかないのだろう

けれども生憎とロディが部屋から持ち出せるものは本しかない。

「あぁ・・いつ飲んでも姫君の淹れられるお茶は本当においしい。心が癒されま

す。」

「ありがとうございます。でもそれもフランツ様の持ってこられるお茶の葉のおか

げだからですわ。」

空になったフランツのカップに新しい紅茶を注ぎながらロディはこそばそうに笑っ

た。

「本当にそう思っているのですよ。―・・それで姫君。私に聞きたいこととは?」

「はい。実は、ロイヴェルト殿下のことなのですが・・」

ぐっー・・と妙な音を立ててフランツが僅かにむせた。

「フランツ様!?大丈夫ですか?」

「えっ・・えぇ、失礼しました姫君。」

「どこかお加減でも悪いのではないですか・・?」

「いや、本当になんでもないのですよ。お気になさらずに。」

席を立とうとするロディを手で制し、フランツはごほんとひとつ咳払いをして体裁

を整えた。

「―・・殿下のことで何かありましたか?」

「あの・・そのたいしたことではないのです。・・・ただ、フランツ様から見てロイ

ヴェルト殿下はどの

ようなお方なのか・・と」

「私から見て・・ですか?」

少々面食らった顔で聞き返すフランツにロディはおっとりと微笑み返した。

「はい。―・・フランツ様はご幼少の頃から殿下とご一緒だったのでしょう?」

「えぇ。シュトライツ公―・・私の父は陛下の親衛隊長でしたからね。その縁あっ

て殿下とは幼き頃から勉学をともにしてきたのですよ。」

「ロイヴェルト殿下はとても素晴らしい方だと聞いております。武術に優れ、知力

に優れ、民のための政治をなされる―・・と。それを疑うわけではありません。

だって殿下のことを教えてくれる時の皆さんの顔を見ればわかりますもの。とて

も誇らしげに話してくださるんです」

侍女たちに話を聞けば皆が皆、頬を染め陶酔する様に語り、教鞭をとる貴族た

ちが休み時間の間に話をしてくれた時は、授業のときよりも熱く語り、誰もが口

をそろえて「わが国の誇り」だという。

「殿下は皆にとても愛されていらっしゃる方なのだと・・ひしひしと伝わってきます

わ。でも・・」

「でも?」

「・・・私が殿下にお会いすることになるのは伴侶となるときです。私は殿下のこ

とを何一つ知らないのです。だからこそ・・というべきでしょうか。殿下のことを知

りたいと思いましたの。殿下のご親友でいらっしゃるフランツ様から見た殿下を

教えていただけませんか?」

「そう・・ですね」

フランツは少しの間考えふけていたが、やがて彼が出した"答え"はロディにとっ

て意外なものであった。

「一言で言えば、”臆病者”ー・・でしょうね」

「臆病・・・・なのですか?」

ロディはきょとんと目を見開く。

「えぇ。皆が言うとおり、思慮深く率先して兵や民を導く指導者らしいふるまい

ー・・というのも確かに彼の一面でもありますが、実のところ自身の本音を表に

出せないただの臆病者なのですよ。何時も周りを気にしては"これは正しい判

断だったのか?それとも違うのか?"と内心ビクビクしている。本音を知られるの

が恐い、弱い心を見透かされまいと必死で取り繕っている。そんな臆病者です。



「まぁ」

たんたんと親友ー・・仮にも次期国王をけなしていく騎士にますますロディは目を

見開くばかりだ。

「あぁ、姫君。そのような顔をなさらないで下さい。これは彼自身も常日頃から親

友である私にもらしている事でもあるのですから。でも他言無用ですよ?他のも

のに聞かれでもしたら不敬罪で捕らえられかねない」

肩をすくめておどけてみせるフランツにロディは笑った。

「はい。お約束します。」

「あぁ・・しかし困った。どうやら姫君にせがまれると本当のことを話してしまうよう

だ。私の話のせいで姫君が殿下のことを嫌いにでもなってしまったらそれこそ

殿下に切り殺されてもおかしくはないですね」

「ふふっ・・そんなことはないですわ。」

ロディの反応に、おや?とフランツは眉を上げた。

「私、逆に安心してしまいましたの。文武両道で思慮深く、民に愛されている・・

そんな聖人のように素晴らしい方に私のようなものがお側に上がるということは

とても似つかわしくないでしょう?」

「まさか!決してそのようなことはありませんよ、姫君」

「ありがとうございます。でも私とても不安でした・・だからフランツ様が殿下のこ

とを"臆病者"なのだとおっしゃった時に不謹慎ですが少しほっとしました。何の

役にも立たない私でも、殿下の心の支えとしてお側に上がることができたなら

ここに来た意味もあるのだと。」

「姫君」

カチャっ―・・とフランツが手にしていたカップを置いた。

「姫君、貴女の存在は貴女が思っている以上にこの国にとって―・・何よりも殿

下にとって何事にもかえがたいものなのです。"花の巫女"としてだけではなく、

”貴女”という存在が必要なのです。貴女と触れ合うたび私はそれを実感しまし

た。だからそのように自分を卑下することはないのです」

幼子に言い聞かせるようにやさしいフランツの声にロディは「はい」と頷いた。

「婚姻の儀式は七日後でしたね―・・おそらくは姫君とこうして話せるのも今日

が最後かもしれません。」

「えぇ・・・本当に、あっという間でしたね。」

ここにきてからもうそんなにも発つのか。

村にいたのが遠い昔のように思われる―・・目をつむればいとも簡単に思い浮

かべることができるのに。

思えば随分と遠いところにやってきてしまった。

今では遠いあの場所。思い返せば真っ先に浮かんでくるあの人の笑顔。

目裏にその笑顔を浮かべるたび胸がツキンと痛む。

「またすぐにお会いできるでしょう。姫君、その時にはまたこうしてお話をさせて

いただけますことをお許し願えますか?」

「はい、喜んで。私も楽しみにしていますわ、フランツ様」

そろそろ戻らなければいけない時間のようだ。

ロディは立ち上がると退出の礼をとる。

この三ヶ月でみっちりしこまれた"貴婦人"らしい動きだった。

「それではフランツ様―・・」

「姫君」

「はい?」

呼び止められロディは顔を上げる。

「最後に一つ―・・私からもお聞きしたいことがあるのですが宜しいですか?」

「はい、私にお答えできることなら。」

フランツは立ち上がると口を開こうとして―・・一度それを閉じた。

難しい顔ででかけた言葉を呑み、やがて意を決したのか再びその口を開いた。

「大変不躾な質問になるでしょう。答えたくなければそのままお進み下さい。

―・・姫君は・・・・」

フランツの声が響く。

「―・・故郷の地に心を通わせあった想い人を残してきるのではないですか?」

ひゅっ―・・っと背筋に冷たい何かが走った。

青ざめていくロディの顔を見てフランツはあわてて言い繕う。

「責めているわけではないのですっ、どうか怯えないでいただきたい。―・・貴女

は時々どこか遠いところに想いをはせている。故郷の話をされるときは特に。

誰か―・・心から愛しい者を想う瞳でした。」

「そう・・・ですか。・・・・・いけませんね・・私、覚悟をつけてきたつもりなのに・・・

私・・・」

震えてうつむくロディをフランツはその腕の中に優しく抱きしめた。

「!フランツ様・・・?」

「失礼、姫君。―・・本当に不躾な問いかけでした。申し訳ない。」

「いいえ・・・いいえ・・・っ、大丈夫です私・・・っ」

「何が大丈夫なものですか。こんなにも震えていらっしゃるのに」

ロディから身を離すとフランツはその顔を覗き込むようにその長身をかがませ

た。

「安心して下さい。誰にも貴女を咎める事などできない。誰にもそのような権利

は無いです。忘れなくてもいい、貴女の責任ではないのだから。」

「でも・・私は・・」

「ロディ」

名を呼ぶ。

「貴女はまだその人のことを愛していますか?」

「私・・」

「大丈夫。正直にいえばいい・・貴女の本当の心を―・・」

「・・・・・・・・・・・・・・はい・・・・・・・」

震える声でロディは何度も頷いた。

「はい・・・私・・彼のことを愛しています。」

「わかりました」

何がわかったのか?

首をかしげるロディの目の前でフランツは片膝をつくと、ロディの手をとりその甲

に軽く口付けた。騎士の誓いだ―・・

「ロディ、貴女は幸せになるべき人だ。周りにその気持ちを押しつぶされて幸せ

を逃してはいけない」

「フランツ様・・・?」

「どうか私を―・・私と殿下を信じてくださいますか?」

その問いかけにロディは首をかしげるがフランツの真摯なまなざしにこくりと頷い

た。

するとフランツは嬉しそうに笑顔で返した。

「ありがとうございます」

「フランツ様・・」

「姫君、しばしの辛抱です。いずれ近いうちに"真"をお見せすることができるで

しょう。信じてほしい。

今の私にいえるのはこれだけです。」







ロディがその言葉の意味を真に理解するのはこれより七日後のことである。














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