月夜姫の章

序章




桜の雨が降っていた。

ひらり、ひらりと風に舞って。

桃色のそれはやがて紅く染まっていく。

一陣の風が吹く。

その光景の何と美しきことか・・・

桃色を紅く染めるそれを滴り落としながら佇む人影。

風が吹いた。

枝垂れ桜の枝枝が波のように揺れる。

澄み切った春の小川の水のような美しい女の声が-------悲鳴が響いた。

桜の雨が勢いを増していく。


あぁ、何と美しきことかな・・・・


あぁ、何と残酷で悲しきことかな・・・・


女のすすり泣く声が桜とともに風に踊っていた。








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ここに一人、闇をかける男がいた。

自身も闇の色を身に纏いながら、風の動きを感じさせないかのように走っていた。

足のついていた地を蹴り上げるとそこから高く跳躍する。

男のコートがまるで鳥の翼のようにひらめく。

人間には到底無理な距離を跳んだ男の影は一つのビルの屋上に降り立った。

月光に映し出された男は、見るものがいたならば誰しもがあっと声を上げて感嘆するほどの容姿であった。

ビル風に髪をなびかせながら男は空に輝く満月を仰ぎ見た。

その空のかなたから一羽の鳥が飛来してくる。

男が腕を差し出すとその鳥はゆっくりとその腕に降り立つ。

「どうだ?」

男の口からこぼれる低い声に鳥は一鳴きして応えた。

「そうか・・・」

眉を顰め俯く男に、気遣うように鳥がもう一鳴きした。

「なんでもないさ・・・・・。ご苦労だったな、悪いがもう一つ仕事を頼まれてくれ」

腕を振り上げ天高く飛翔させる。

甲高い声を上げ烏は舞い上がっていった。

男はもう一度満月に目を戻す。

「もうすぐです----・・」

胸が張り裂けてしまうようなその切ない声を聞いたのは、空に浮かぶ月だけであった。