こんなのってあり?4。
オレンジ色の温室の中に少しずつ蛍光灯の明かりが灯っていく。
紫陽花の植え込みを挟んで佇む彼は静かに微笑んでいて・・
「思い出していただけたんですね。」
嬉しそうなその顔に思わず私はうっ・・と呻いてしまった。
何もそんな顔しなくてもいいじゃない・・・・こっちが照れくさくなるじゃん。
バツが悪そうに赤面し、見るからにブスッと不貞腐れる私を見て密が苦笑した。
「・・・・・なんで笑うのよ。」
「それは嬉しいからですよ、灯さん。」
嘘付け。
今明らかに人を小馬鹿にしたような笑いだったでしょうが。
「―・・わっ・・・私は謝らないからねっ。」
「何を?」
うっ・・・こいつわかってて聞いてるな。
「・・・・・・・・密達のことも・・・"約束"も忘れてたことも・・・・・」
語尾が小さくなっていき、顔も俯いていく。
もにょもにょと話す今の私は本当に情けないんだろうな・・と頭のどこかで考える。
「灯さん―・・」
思った以上に近くから密の声が聞こえてきた。
顔を上げると頭のすぐ側に微笑む彼の顔があって・・
「それでも貴女は思い出してくれましたよ?」
怒っていないから。大丈夫だから。―・・と優しく頭を撫でられた。
「このリボンをつけてきてくれたということは・・僕は少しは期待してもいいんでしょうか?」
頭を撫でていた手がそっとリボンに触れる。
その手が優しくて温かくて―・・
不覚にも涙がこぼれてしまった。
「っそんなこと知らないわよ―・・!」
いいたいのはそんな言葉じゃない。なのに私は天邪鬼みたいに密の言葉をつっぱねた。
ここまできて下手な意地なんて必要ない。下手な気恥ずかしさなんて必要ない。
そうとわかっていても素直にはなれないものだ・・人間っていうのは本当に難しい。
「ただ私は―・・私は何で密があっ・・あんなことしてっ・・・そっそれにその後の行動だって
わけわかんないしっ・・わけわかんなくなって・・そんなときに昔の事思い出して・・」
最初は荒々しかった口調もだんだんと喋っていくうちに落ち着きを取り戻してきた。
「うん・・思い出してリボン探して・・・とにかく密に合わなきゃって・・」
ううんそうじゃない。
私が言いたかったことはそうじゃない。
只一言―・・いえばいいのに・・
「―・・ごめんなさい。」
「・・・謝らないっていいませんでしたっけ?」
「うっ・・・・前言撤回よ。」
一々細かい奴め。
そこらへんは眼をつぶりなさいよ。
そんな意味合いをこめて睨みつけてやると密は困ったように笑った。
「―・・とりあえず約束の半分は果たしました。大きくなって灯さんの元に帰ってくる―・・まず
は第一段階クリア。ってところですね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ねぇ一つ聞くけど。」
「はい?」
「この十数年の間、あんな小さなときの約束を守るために生活してきた。なんて阿呆なこと
いうんじゃないでしょうね?」
すると密はキョトンとした顔をした。
何いってるんですか。当たり前じゃないですか。
と、心の底から言っている顔だ。
「駄目でしたか?」
「いや、駄目っていうかなんというか・・・」
そんなんでいいのかあんたの人生は。
呆れすらもとおりこして・・・・・・・・・・言うおともないとはこういう状況のことか。
「密・・・あんたっておかしくない?」
「灯さん、"恋は盲目"っていう素敵な言葉があるじゃないですか。好きな人のためならなん
だってしますよ。」
当然でしょう?
と肩をすくめて言い放つ密の姿は多少キザだがよく似合っていた。
「―・・ところで灯さん。僕としてはこのまま第二段階にいこうかとおもっているんですがどうで
すか?」
「どっ・・どうって・・・・」
「僕と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」
「!!!!!!!!!!!!!!!」
密に極限まで接近されギリギリだった私の思考回路はその台詞によって限界を迎えた。
頭の片隅でふしゅ〜と何かが煙をたてて壊れている音がした。
「灯さん?」
「へっ?あっ・・うっ・・ふぇぇぇぇぇ???????」
そんな灯に更に追い討ちをかけるように密はその耳元でかすかに囁いた。
「灯さんは僕のことが嫌い?」
「べふっ―・・!!!!」
いけないいけない。今、口から変な生き物が出たかも・・
落ち着け自分。とりあえず落ち着け。
落ち着いてこの天然タラシ男をどうにかしないと―・・
ふぅっ―・・
耳に・・生暖かい風・・が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ぎゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」
反射的に片耳を押さえ半歩引く。
「密!!あんたちょっとは真面目に―・・!!」
「灯さん―・・」
あぁ・・今日は本当によく名前を呼ばれる。これで何度目だっけ?
ぎゅ・・・っと、自分とは明らかに身体の構造が違う男の子の身体。
背中に回された腕が痛いぐらいに締め付けている。
「本当は怖かった。」
「密・・・・・・・・・・・・・?」
「灯さんが俺の事覚えてなくって・・不安だった。俺だけ好きで・・・好きでしょうがなくて。」
強く抱きしめる腕からはかすかに震えが感じられる。
「密」
「でも嬉しかった。またそうやって名前呼んでくれて。俺の事覚えてなくても灯さんは灯さんだ
から。」
「・・・・・・うん、そうだね。」
そうだね。
ぽんぽんと小さな子にやるようにその背中を叩いてあげる。
「だから灯さん。」
「ん?」
「―・・これからも俺の名前呼んでくれないかな?」
"僕"じゃなくて"俺"って自分の事を呼ぶ密。
やっと彼の本当の姿を見たかもしれない。
その事実はちょっとだけ優越感をもたらして―・・
灯はその腕の中でふぅっと一つ嘆息した。
何かを諦めるかのように―・・少し嬉しそうにしょうがない。と溜息をつく。
「うん、わかった。」
子供の頃の思いではこの白くなったリボンのように沢山の記憶の中に埋もれてしまうけども。
その色は褪せていってもその形は残っている。
だから―・・うん。大丈夫だと思う。
*
「ねぇ、所でさ。」
所かわって秋宮家宅。
ソファにごろりと寝転びながらだらしなく雑誌を読んでいた晶が反対側のソファで優雅に紅茶を
のんでいる司に声を掛けた。
―・・その司が優雅に紅茶を飲みながら読んでいるものが経済誌などではなく"ラーメングルメ情報
誌"だったりするのはここではあえてつっこまないでおこう。
「何だ?」
「密が灯ちゃんを家に帰したことって意味があったの?」
「あぁ・・それか。」
司は紅茶を机の上に置くと足を組みなおした。
「私も気になって本人に聞いてみたよ。」
「なんだって?」
『灯さんが俺たちのこと思い出してくれるにはまだ時間がかかりそうだ。気長にまってもいいけど
どこの馬の骨とも知れない男に灯さんを奪われるかもしれないと思うと気が気じゃなくて・・まぁいわ
ゆるショック療法のようなものだよ。』
「・・うぅ〜ん・・・・我が弟ながら考え方が強引というかなんというか・・」
「早田からの連絡から予測するに今頃は口説き落としている最中・・ということか。」
「本当計算高いなぁあの子は。まぁ俺は灯ちゃんさえ幸せになるならそれでい―・・」
ふと晶の言葉が中途半端なところで途切れた。
おや?と眉を顰め司は、同じく中途半端に止まった晶の視線の先を追ってみることにした。
それは自分の真後ろ。
そうこの部屋の入り口に当たる部分で・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・灯さん?」
そこにはいつの間にか帰宅した見慣れた少女の姿があった。
ふるふるとその身体が震えているのは―・・多分溢れんばかりの怒りのためだろう。
「っっっっっっっ密〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
少女はくるりと身を翻すとそのまま廊下の奥へと消えていった。
その様子はまさに猪突猛進。
「えっ?何ですか灯さん?わっちょっ―・・」
可愛い弟の声がかすかに聞こえるがそれもすぐに騒音とともに消えてしまった。
「・・・・・・・う〜んこれは前途多難というかなんといううか・・」
「これから賑やかになるだろうな。」
「はははは。そうだねぇ〜。それはそれでいいか。」
二人の兄達は現実逃避をするように―・・いや、気のせいということにしておこう―・・もとの行為に
没頭した。
「うん。本当に楽しくなりそうだねぇ。」
屋敷のあちらこちらから響いてくる怒声や激しい物音をききながら晶は幸せそうに呟いた。
うん、こういうのも悪くはない。
「はてさて・・これから先灯ちゃんにとって人生が天国になるか地獄になるか・・どっちだろうねぇ〜?」
とりあえず今間違いなく言えるのは、可愛い弟は確実に地獄をみているということだけだろう。
ガシャーン。
「「あっ。」」
響いた音に二人の兄は声をそろえて顔を上げたが動くこともせずにとりあえず外の景色をみた。
「本当にいい天気だ。」
「うん、そうだねぇ。のどかだねぇ〜。」
*
あぁ、神様。
人生どう転ぶかわかったもんじゃないですけど本当にこんなのってありなんでしょうか?
「待ちなさい!!密ぁぁ!!」
「あはは、怖いですよ灯さん。」
何処か追いかけられるのが嬉しそうな彼を追ってる私。
だんだんと馬鹿らしくなってくるけど・・それでも追いかけるのをやめないのはもうすでに手遅れともい
えるこの厄介な"気持ち"のせいか。
耳に懐かしい幼い声がよみがえって聞こえてくる。
『ボクがもうちょっと大きくなったら絶対にまた帰ってくるからね。絶対に灯ちゃんを迎えに来るから!
だからその時は僕のお嫁さんになってね!!』
あぁ・・もう本当に・・・子供の頃の"約束"というのは厄介なものだ・・・
まったく・・・ここまできたらもうなるようにしかならないってことなのかしら。
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