いよいよ使節団が神界へと渡る日がやってきた。

 出立式は早朝より厳かに行われ、使節団が夜の城を発とうとしたときにはもう昼が

 近かった。

 積荷も含めば三十ほどはあるだろう竜車は二列で隊をなし、その周りを竜騎士たち

 が固めていた。

 「出立!!」
 
 号令と共に隊は夜の城の城門をぬけ、都を進む。

 「マリー様」

 マリーの竜車に同乗するリーシェは、小窓から遠ざかる夜の城を食い入るように

 見上げる少女の名を呼んだ。

 「・・・今までも何度か長いこと地方にいったことはあるけど、行き先が違うだけで

 こうも寂しく思えるものなのね。不思議だわ」

 でも大丈夫よ、とマリーは屈託のない笑顔を振りまいた。

 「リーシェがいるから平気!すぐに思う存分神界を楽しんでやるんだから!!」

 「マリー様にそういっていただけるのであれば私もご期待にそえるだけの働きをし

 なければいけませんね」

 本当は泣きたいほど心もとないだろうに、涙一つ見せずに笑顔をみせる少女に

 リーシェは自分がもっとしっかりしなくてはと一段と決意を固める。

 使節団の一行は王都抜けそのまま東の草原地帯へと足を進めた。

 最初の目的地まではさほど遠くはない。

 王都から一刻ほど東へ進んだ場所にそのあたりではぬきんでて高く聳え立つ岩山

 が一つ−・・その裾野の岩壁にはそこをごっそりくりぬいたようにできた”原初の扉”

 と呼ばれる魔殿がある。

 もともとは”原初の扉”を守るためにつくられた魔殿ではあったが今ではそのものが

 その名を冠しているようだ。

 ”守人”と呼ばれる竜人のギヌス族によって出迎えられた一行は竜車のまま魔殿の

 奥へと引き入れられた。

 山肌にあいた広い洞穴を進めばやがてポッカリと広がる池−・・ただしくは池ほどの

 大きさの”雲海”が目の前に現れた。

 何故こんな山中に雲海が存在するのかは今だに謎だが、唯一つここの雲海は大
 
 陸を囲む雲海とは違うことがある。

 それはその”下”がどこにつながっているかわかっているということ。

 「すごい、本当にちっちゃい雲海なのね」

 「これが”原初の扉”−・・魔界と神界をつなぐ”中立地帯”へと行って帰ってこれる

 唯一の”道”なのですよ」

 手続きを済ませ竜車に戻ってみればマリーが身を乗り出さんばかりにはしゃいで

 いる。

 「マリー様、そんなに驚かれていてはこの先目を回してしまいますよ」

 「本当に!?」

 さっきまでの大人びた感傷はどこへいったのか・・・子供特有の興奮冷めやらぬ様

 子で目をきらきらさせるマリーにリーシェは苦笑する。

 「ついてからのお楽しみです。さぁ動きますから席についてください」

 号令をかけると”扉”へとつづく緩やかな坂を竜車が進む。

 一つ、また一つと竜車や竜騎士の乗る竜の巨体が白い雲の中へと沈んでは消えて

 いく。

 雲海の中に入ると窓の外はまるで霧のように白くぼやけていた。

 「以外に明るいのね」

 「光源は定かではありませんがおそらくここの雲海に散らばっていると思われる

 ”力”によって生じた熱が光となって発光しているのでないかというのが今の定説

 なのですよ」

 「へぇ、まだわからないことも沢山あるのね」

 ゆるゆると傾斜の低い坂道を下るように白い雲海の中を進んでいくとやがて道とも

 とれぬ行く先にポツリとたたずむ影をみつけた。

 「マリー様、みえてまいりましたよ」

 「あれは?」

 「”中立地帯”への扉です」

 近づくにつれ大きくなってくるそれは一行が目前まで近づくとまるでそれ自体に意

 思があるかのようにその身の内へと続く重厚な扉を開いた。

 扉をぬけると途端に視界が開ける。

 「これが・・中立地帯・・」

 広さは王都ほどだろうか。

 「空に浮かぶ島みたい」

 マリーの感想にえぇと頷いた。

 リーシェ自身ここを訪れるのは3度目だがいつ見ても不可思議な光景だ。

 元来空があるべき場所には何もなくただただその地をのぞけば見渡す限り果て

 がないようにみえる淡く七色にうごめく”空間”があるのみ。

 その中にポツリと島のように浮かぶのがこの中立地帯なのだ。

 遙か昔−・・まだ魔界と神界が対立していたとき、ここは戦場だった。

 その当時を知るものはもうおらず文献のみに記された記録ではあるが、その頃は

 ここの大地ももっともっと広大なものであったらしい。

 しかし度重なる戦によって大地は削られ、塵となって消えていった。

 戦が終わり残されたのはわずかばかりの大地ばかり。”削られた”後を物語るよう

 に島の周りには小さな島とも呼べないほどの塊がいくつも漂っている。

 大地には草木が存在するが生き物がいない。風が吹かない無音の地−・・

 「なんだか綺麗だけど寂しい場所ね・・」

 ポツリと洩らしたマリーに視線を落とせばわずかにだがその肩が震えている。

 かつて多くの命が散り、果てのない空間に呑み込まれていった−・・果てが見えぬ

 場所というのは時に見るだけで恐れを抱かせる。

 かくいう自分もはじめてここを訪れたときはマリーと同じ事を思い身震いしたものだ。

 そっとその小さな肩を抱けば硬くなっていた体から力が抜けた。

 「もうすぐあちらとの合流地点です。準備は宜しいですね?」

 「えぇ」

 扉を抜けてしばらくは整備された一本道ばかり続いていたがちょうど島の中程まで

 きたあたりで列は歩みを止めた。

 「―・・隊長、到着いたしました」

 「レディ・マリア、お手を」

 マリーの手をとり竜車をおりると少し距離を置いてはいるが、使節団の目の前に

 別の集団が待ち構えていた。

 神族だー・・神族にも我々同様いくつかの種族があるというが、我々ほど多くはなく

 またその身を彩る色彩も魔族ほど多種多様ではない。

 基本的に神族の肌は濃い褐色、瞳や髪の色は淡い金が多い。
 
 そして総じて背中に身の丈ほどの翼を持つ(翼の色は種族によってわかれるときい

 たことがある)

 服飾に関してもこちらとはその形が大きく違っている。

 魔界ではドレスやズボンなどのように立体的に作られている服が多いが神界のも

 のはどれも平面的なつくりとなっているようだ。

 幾重にも重ね合わせた前あわせの上着とすそが大きく広がっている”袴”と呼ばれ

 る下穿きを腰帯でとめている。

 ―・・なんとも心もとなさそうなつくりではあるが翼を持つ彼らにとってはそのつくり

 ほうが都合がいいのだという。

 マリーの手をとったままリーシェがその集団へと近づけばその中から一人、前へ

 すすみ出てくるものがいた。

 背中まである薄金色の髪を後ろで一括りにし、赤い瞳をもった青年−・・その背中

 にある翼の色も燃えるような赤色だ。

 そして翼の赤は神界の王族だけが持つことを許された色。

 マリーはリーシェの手から離れると一歩前に進み出る。

 「わざわざの出迎えまことに感謝いたします。私はレディ・マリア、敬愛すべき魔王

 陛下より此度の神界使節大使を任じられ参りました」

 「お初にお目にかかるレディ・マリア、私は神王が第四子イルファン・スイコ・コウラ

 イン。貴女の神界入りを心より歓迎いたします」

 神界式の礼をとったマリーにイルファンは魔界式の礼で返した。

 どちらも王族らしく完璧な仕草に双方の目はやわらかく細められる。

 「此度の訪問が今後の両界にとって有益なものとなりますよう力の限り尽力いた

 しますわ、コウライン様」

 「どうぞイルファンとお呼び下さいレディ・マリア。貴女のように素敵な大使がいらし

 てくれたのです、きっと今よりも強く両界の絆は深くなることでしょう」

 二人は固く握手を交し合う。挨拶を終えたマリーに目配せをされ、リーシェはイル

 ファンの前に跪いた。

 「イルファン様、私の大切な騎士を紹介させてくださいな」

 「使節団隊長リーシェ・ヴァン・ベトヴェニス・ラードン・シンシアと申します。お会いで

 きて光栄ですコウライン殿下」

 リーシェが名乗りを上げるとイルファンの目が、あぁ!と見開かれた。

 「あなたが東方将軍ですか!数多くの武勲、こちらにも聞き届いていますよ」

 「ありがとうございます」

 横ではマリーが「私のリーシェだもの当然よね」と嬉しそうにこっそり呟いた。

 「しかしあなたのように美しい女性が将軍とは・・・こちらには武に優れていても

 無骨なものがおおいせいか軍に華がない。うらやましい限りです」

 偏見やそういったものではなく純粋な賞賛ととれる言葉にリーシェははにかんだ。

 「殿下、それはちょっとひどいじゃありませんか?」

 するとイルファンの後ろに控えていた大柄の武人が嘆くように抗議してきた。

 茶色の翼に、編みこまれた黄土色の長い髪。ハロルドと並んでも引けをとらない

 ほどの巨体だ。

 「本当のことだろう?−・・紹介します、レディ・マリア、リーシェ殿。これは我が黒翼

 軍軍隊長ホウセン・リー・セキツ」

 ホウセンは巨体を折り曲げ礼を取るとニカッと笑う。

 「お初にお目にかかります、レディ・マリア様、リーシェ殿」

 「残りの神界までの道中と滞在時の警護責任者でもあります。どうか好きに使って

 ください」

 「ありがとうございます、イルファン様。ホウセン隊長、宜しくお願いしますね」

 「はい!!おまかせを!!」

 「見てのとおり、腕っ節だけは神界随一の武人ですのでご安心を」

 イルファンの横槍にホウセンは再び「そりゃないですって!!」と嘆いた。

 「ふふ、何だか楽しくなりそうねリーシェ」

 二人の様子を見てマリーがこっそりリーシェに耳打ちする。

 「えぇそうですね」

 正直先行きが不安だったがこれなら神界での滞在も予想していた以上に楽しめ

 そうだ。

 





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