心臓が凍りつくというのはまさにこのようなことをいうのだろう。 血溜まりに倒れるその人。 自分が何を叫んだのかよく思い出せない。 ただ頭が真っ白になって―・・ 気が付けば出入りが激しい部屋の前で呆然とつったっていた。 頭が思考するのを止めてしまっているかのようだ。 ふっ―・・と影がかかった。顔を上げなくても気配で陛下だとわかる。 ぼぅっとした頭で陛下の声を聞く。 胸倉を掴まれた。そして背中を壁に打ち付けられる。 「―・・っ」 一瞬呼吸が出来なくなった。肺が空気を求め熱くなる。 陛下の言葉が空っぽの頭の中に入ってくる。責めるように。諭すように。 立ち上がる力すらも失ってしまった俺の身体はズルズルとその場に崩れ落 ちた。 とても長い夜がはじまった―・・ * 眠れない。 眠れるわけがないのだ。 時間がたつことすら忘れてしまいそうだ。灯もつけずに俺はただ部屋の中で 一人待っていた。 あいつが目覚めるのはいつなのだろう。 明日か明後日か・・それとも一週間?一ヶ月・・・・ もしかするともう二度と―・・ 「くそっ―・・!!」 嫌な考えを打ち払うようにテーブルの上にあったグラスなどをなぎ倒す。 「どうして・・・こんな・・・・」 コレは罰なのだろうか。 愚か過ぎる行いばかりを続けてきた俺に対する罰。 だがそれなら何故リーシェなんだ。何故俺自身に下さない。何故あいつばか りが苦しむ。 頭を抱えてその場にうずくまる。 どうしようも出来ない。俺は何て非力なのだと嘆きながら、嘆くことしか出来 ない己を呪う。 どのくらい時間がたったのか。 「バディ!起きているか!!」 ハロルドだ。 窓の外はうっすらと明るい。 どうやらもうすぐ夜があけるようだ。 ぼんやりとした頭が一気に覚醒する。 「リーシェが目覚めたのか!?」 急いでドアを開け開口一番にそれを口にした。 ハロルドはそんなバディの様子に弱冠気圧されながらも「あぁ」とうなずい た。 「一応、目覚めたことには違いないらしいのだが・・」 「何だ!?何かあったのか!?」 "立てこもっている"というハロルドの言葉に呆然とし、その事実を目の当た りにするのはこの五分後のこと。 * 何処に行くわけでもなく、ただ一人城の中を彷徨い歩いていた。 あの場にいることがどうしても耐え切れなくなってしまったのだ。 去り際にリーシェに名を呼ばれただけで動揺してしまった自分を思い返しせ せら笑った。 全く―・・何ということだろうこれは。本当にコレは一体何の冗談だ?罰とい うよりは体のいい嫌がらせのような気もしてきた。 俺が一番望んでいたことをこうもあっさりとしてのけられると喜びや怒りを覚 えるよりも何よりもただ唖然とするしかないだろう。 (俺にどうしろというんだ・・) いや違うな。 (俺はどうする・・・?) いっそのことこの気持ちを全て打ち明けるか?―・・何と都合のいい。 今までの自分の態度を思い返してみろ。それこそなんと調子のいいことだろ う。 だがあるいは―・・ あるいはぶちまけてみるとしよう。きっと彼・・いや彼女は・・・ 「バディ―・・!!」 「!?」 後ろからリーシェがやってくる。何とタイミングの悪い・・ 俺は逃げた。 きっとあいつは許すだろう。俺のことを。 そういう奴なのだ、昔から。そう、許して全てを受け止めてくれるのだろう。 だがそれではいけない。俺は許されてはいけない。いけないんだ。 楽になるだろう。全てをぶちまけてしまえば。 でも駄目だ。 俺はあいつが一番苦しんでいた時に側にいてやれなかった、助けてやれな かった。 あいつのためだと決め付けながら結局は自分のためだけにあいつを更に苦 しめた。一人にした。 そんな俺に―・・許される資格などない。 「待ってください・・!バディ―・・!!」 城から離れ、庭園を抜け、林に入って―・・追いつかれた。 腕を掴まれる。触れた指先にどきんと心臓が跳ね上がる。 「っ―・・離せ」 ふりほどこうとする。だが前よりも華奢になった体だというのに強い力でそれ を拒んだ。 ふと・・昨日の逆だな、と思った。 「私は貴方にいわなくてはいけないことがたくさんあるのです!!聞いてく れるまで離しません!!」 リーシェの強い声に俺は息を呑む。 一瞬力の抜けた俺の身体をリーシェはぐいっと振りかえらさせた。 強い光を宿した瞳がこちらを見ている。まっすぐに、そらすことを許さない。 「バディ、私は寂しかった。」 「―・・っ」 何故そんなことを言うのか。 「悲しかった―・・私は皆の期待に応えられなかった。君の信頼を裏切ってし まった。凄く悲しかった。故に私は死にたかった。死んで消えてしまいたかっ た。」 何故そんな 「悲しいけれど、君に嫌われるのはしょうがないから。だから私は君に嫌わ れる努力をした。」 顔で 「私は私の悲しみしか見えていなかった。自分がとても不幸なのだと。この 世界には私の居場所などないのだと―・・」 声で 「世界はこんなにも美しく暖かいのに。どれほど私の周りが暖かかったか本 当に私は気付きもしなかった。壁を作っていたのは私自身だった。」 俺の心を揺さぶるのか。何故お前は―・・ 「だから私は君に言おうと思う。君がどれほど私を嫌おうと、憎もうと、疎もう とも構わない。だが友として―・・かつての友としてバディ、私の名を呼んで はくれませんか?」 何故、俺の欲しい言葉をそうも簡単にあたえてくれるのだろうか・・ リーシェは期待と不安に満ちた表情でこちらを見上げている。 待っている。待っていてくれているのだ。俺から”答え”が出るのを。 ふと―・・リーシェの足元に目がいった。 ブーツもズボンの裾も泥にまみれボロボロだ。合わない靴で、慣れない体で 俺を追ってきてくれたのか・・ 「リーシェ」 はっとリーシェが顔を上げる。 あぁ、本当にお前って奴は・・ 「リーシェ、お前は馬鹿だ。」 抱きしめた。小さい、柔らかい、暖かい・・あぁ懐かしい香りがする。リーシェ の匂いだ。 「バディ・・・?」 「何故俺がお前を避けてきたのか気付きもしないで―・・そうだ何時だってそ うだ。お前は気付きはしない。」 こんなにも無防備で。だからこそ芽生えたのかこの気持ちが。 「バディ?」 腕の中でリーシェが戸惑う気配がする。 抑えることなど・・・不可能だ。 「バディ、一体どうしたのですか?何のことをいっているのか―・・」 「お前は・・」 抱く腕に力がこもる。 欲望のままに突き進もうとする己を罵る。だが止まらない。"愛しい"という気 持ちは誰にも止められない。 止まることなど―・・もう糞くらえだ。 頤をつかみ戸惑う顔に顔を近づけ―・・ 「は〜い。そこまで」 「!?」 あっという間に腕の中にあった感触がなくなっていった。 「対等な立場まで登らせてやるとは思ったがな、ここまで許した覚えはない ぞ?バディくん?」 「なー・・」 突然あらわれた陛下に俺もリーシェも呆気にとられてしまった。 してやったりといった顔でふふんと陛下は笑っている。 ・・・・・・・・・・・・・どうでもいいが実に癪に触る笑い方だ。 しかもあれよあれよという間にリーシェあレディ・マリアに拉―・・つれていか れてしまったではないか。 変わらずにやにやと笑う陛下に思わず舌打ちをしてしまう。 「まぁまぁ、そう睨むなよ。―・・仮にも俺の部下だろう?」 「・・・・・・・・そうですね。それでは仮にも私の仕えるべき魔王陛下に一つ、 大変失礼とは存じますが申し上げたいことがございますがお許しいただけま すでしょうか?」 皮肉を皮肉で返したバディに陛下は「ほぉ?」と楽しげにうなずいた。 「いいぞ、言ってみろ。」 「―・・何の真似だ?」 剥き出しのバディから陛下に向けられる感情は殺気にも近いもの。 だがそれをものともせず陛下はくくっ・・と喉で笑うと肩をすくめてこう返した。 「決まってるだろう?ぬけがけは許さないってことだ。」 バディの怒気がさらに上がる。 「いいね〜。何もかもふっきったって感じで。そっちのほうが断然男前だぜ ?」 「陛下といえどもコレばかりは譲るつもりはない。」 「ふっ、いい度胸だ。受けてたってやる。だがな俺も譲られるつもりは毛頭無 いし、残念ながら負けるつもりも決してない。覚悟しとけよ?」 「ソレはこちらの台詞だ。」 ゴゴゴゴゴ・・・と。見るものが見たら二人の背後に巨大な龍と虎が見えただ ろう。 相変わらず不遜な態度でにやにやと笑みを絶やさない陛下と、より一層眉 間の皺を深くするバディの無言の睨みあいはその後、陛下を探しに来た宰 相が来るまでの半刻続くことになったとか・・・というのはここだけの話。 今、苦悩と悲しみに捕らわれていた鳥が一羽、黎明の中、空へと飛びだって いった。 Back |
黎鳥飛話