天国か地獄か。



「憧れの人」―・・って言うのは誰にでもいることだろう。

"憧れの先輩"、"憧れの芸能人"・・・


私の場合は"憧れの社長"だったりする。

大手企業に勤めてるとはいえ平社員の私にとっては、そのトップに立つ社長は手の届かない雲の上の
人といっても過言ではない。
若くてかっこよくて優しくて仕事ができて・・・私みたいに彼に憧れる社員は少ない―・・いやむしろ全女性
社員が彼のファンだろう。
"スター"ともいえる存在のそんな"憧れの社長"。


例えば―・・だ。
そんなエリート中のエリートでもある憧れの人が、休日のさる昼間、込み合う地下街の片隅にあるラーメン
屋で、庶民達に囲まれて少し汗をかきながらおいしそうにラーメンを食している姿を見たら・・・・・


なんていうか複雑な気分に陥らないだろうか・・・・?



                                 *



(何でっ!?)


休日。少し買い物に出てきただけのつもりだった。
その筈なのに・・・


(えぇっ!?何でっ―・・!?)


ウィンドウショッピングを楽しんでいた私はありえない光景を目の当たりにして思わずその場に立ち止まってしまっ
た。

視線の先にはガラス張りの錆びれたラーメン屋。
時刻は丁度昼時。地下街の隅の方にあるそこは他の飲食店同様、多くの客を出し入れしていた。
混み合っている店内―・・そんな中、異色を放つ男性が一人。

完全にその場にそぐわないその男性を他の客達も遠巻きに見ていた。
現にその両側の席は二つとも空席だ。
ブランド物のスーツをピッシリときこなしたその人は端正なその顔にうっすらと汗をかきながら無心にラーメンを
食していた。

しかしその食べ方も何とも優雅なもので―・・まるでそのラーメンが高級フランス料理に見えてしまうほどの美し
い所作だった。

だがそれは別として―・・
見てはいけないものを見てしまった気がする。
だが見てしまった以上、目をそらすことも出来なかった。

直接面識がないものの彼のことは良く知っている。
私の勤め先でもある、秋宮財閥が経営する秋宮グループの代表取締役兼社長―・・秋宮 司。
アメリカの某有名大学を主席で卒業後、帰国してすぐその職についた秋宮家の長男。
そろそろ結婚話が持ち上がってもいいはずなのだが、そういった色めきたった話は聞いたことがない―・・故に
彼を狙う女性は後をたたない。
勿論、その座を狙おうと果敢に挑戦するのは俗にいう"上流階級のお嬢様"ばかりだ。
故に私たちは見ているしかできない。憧れることしかできないのだ。
あまりにも雲の上の人過ぎるのだ―・・私だって入社してからその姿を見たのは数えるほどしかない。


―・・でも。
今、目の前にいるのはまぎれもなく件(くだん)の人物であるのだ。


私は今後の私の人生のためにも早々にその場を離れなければいけない。そう直感した。
だが動きたくても動けない。
あまりにも目の前にあるその光景が衝撃過ぎて脳が考えることを拒否している。


と―・・


目が合った。


(ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜〜!!!)


すぐに目をそらせばよかったのだが、極限の気まずさとある一種の恐怖がそうさせてはくれなかった。
しばらく二人ともそのままの状態で見つめあい続けた。

早くも私の背中には嫌な汗がタラタラと流れ始めている。

やがてその状態を終らせたのは彼のほうだった。
にこりと笑ったかと思うと(あぁかっこいいー・・)あろうことかこちらに向かってちょいちょいっと手招きをしたの
だ。


(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ!?えぇっ!?)


慌てて周りを見る。
立ち止まっているのは私一人。そしてあきらかに彼の視線も私をさしていた。


「わっ私ですか!?」


思わず自分を指差してジェスチャーで確認を取る―・・するとにこやかに再度彼は頷いた。
周りにいる客の視線も集まってくる―・・うっ更に気まずい・・・

彼は尚もちょいちょいと手招きしている。
私は気恥ずかしさのあまり足早に店内にはいると彼の隣にたった。


「なっ何で御座いますでしょうかっ!?」


緊張のあまり日本語がおかしい。

だってだってだってだって・・・!!!(ラーメン食べてるけど)あの社長が目の前に―・・こんなに近くにいるんだか
らしょうがないじゃないっ!!


「そうですね―・・まずは座りませんか?―・・すいません、お水下さい。」

「しっ・・・・・失礼します。」


ギクシャクとした動きで示された隣の席に座る。


「えっと・・確か総務の"大島 りさ"さんでしたね?」

「えっ!?」


社長の言葉にただ唖然とする私。
そんな私を見て社長は首をひねった。


「おや?違いましたか?」

「いっいいえいいえ!!そんな滅相もございません!!あたってます!!大正解です!!」

「そう、よかった。」


慌てて肯定すると社長はにこりと首を傾げて笑ってくれた。

あぁ・・・その笑顔が眩しすぎます―・・


「あの!でも何で私の名前―・・」

「え?あぁ大したことではないですよ。ただ全社員の名前と大体の経歴は一応頭の中に叩き込んでるだけです
から。」

「!?」


さらっとそんな発言が口から出ても不自然ではないのはこの人故か―・・
しかしそれにしても・・

(全社員・・って・・・・・えぇー!?)

決して小さい会社ではないのだ。むしろ大きい。大きすぎるほどに大きい。
何万という人間を抱え込んでいる日本企業の中でもトップをいく一流企業。


「とはいっても本社の人間だけですけどね。さすがに国内外含め全国に散らばる社員は無理ですね。」


いやぁ私もまだまだです。とかいって横で恥ずかしそうに苦笑しているが・・・・社長・・本社だけでもかなりの人
数ですよ・・・


「あのところで社長・・」

「あぁ、今は完全にオフだから"司"って呼んでくれませんか?大島さん。」

(ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!?????)

そそそそそれは嬉しいですけどななななななぁんていうか今の私にとってはごごごごご拷問にも近いようなもの
があるんですがぁぁぁぁぁぁぁ社長〜!!!


そんな私の気持ちを知ってかしらずか社長は首を傾げて待っている。
うぅっ・・・


「つ・・・つ・・つ・・・司・・さん・・・」


あっあぶない・・あやうく"司様"と呼びそうになってしまった・・
呼ばれた社長―・・司さんの方といえば、とても満足げに頷くのだった。


「そうそう。折角の休日なのに"社長"なんてよばれたら休日気分が台無しですからね。―・・で、何でしたっけ
?」

「え?あっはい・・・・・・・何というか大変不躾な質問で恐縮なのですが、しゃ―・・司さんはどうしてこのような所
にいらっしゃるのでしょうか?」

「やっぱりおかしいですか?」

「いっいいいいいいいえ!!!!そっそんなことはっ・・・・」


困ったように笑う司さんに私は慌てて否定するが・・・それは肯定をあおっているようにしか聞こえない。
うん。だって・・・やっぱり似合わないです。
違和感バリバリですよ・・と喉元まで出掛かってはいたが生憎と小心者の私にはそこまで突っ込める勇気がな
い。


「えぇ、自分でもわかってはいるんですよ。わかってはいるんですけどね―・・やっぱりこの格好がいけないのか
な・・」


確かに。
休日に高級スーツを着て無造作にラーメンすする人なんて滅多に居ないが、司さんの場合その存在自体が違
和感の根源でしょう。
司さんのようなオーラをもった人たちは根本的に空気が違うのだ―・・こんな所で目立たずに食事をしようと思う
こと自体が間違っているだろう。


「う〜ん・・結構核心づいた所突っ込んできますね。大島さんも中々手厳しい。」


いえいえそれ程では・・・


「っっっっっっっっっっっって、ぅぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇ!!!???わっ私もしかして声に出してましたかぁっっ
っ!?」

「えぇ、もうバッチリ。」


のわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・

声にならない絶叫が私の脳天をつきぬけていった。

(なんてことを!?私ってばなんて失態!?)

穴があったら入りたい。逃げたい。今すぐこの場から逃げたい。


「すすすすすすすすすすすすすすすすいませんすいませんすいません!!私ったらなんて失礼なこと!!」

「いいえ、いいんですよ。気にしてませんから、だからもうちょっと落ち着いて・・」

「いいいいっいいえいいえ!!そんなわけには!!!あぁっもぅっなんていうか謝らせてください!!土下座します!!むしろさせてください!!というかここは腹かっさばいてお詫びの方が宜しいですか!?宜しいですよねっ!?」


もはや崩壊寸前。
パニックに陥った私の思考回路はショート寸前だ。


「まぁ落ち着いてください、大島さん。」

「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!でもっ!!でもですねぇぇぇぇ!!!」

「・・・わかりました。では―・・大島さんの時間を私に少し貸してくれませんか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」


ついに私の思考回路がストップした。
えぇっと・・・いまなんと・・・・?


「いいですか?」

「あっはい。」


思わず即答で返事をしてしまう。
だってだってだってだって・・そんな顔で微笑まれてそんなこと聞かれた日には誰だってそうこたえるでしょう
!?



例えば―・・憧れの人が目の前にいて偶然にも話が出来る状況に陥ったとする。
その人の意外な一面を見て驚いたりもしたけど、それでも今まで手がとどかなかったその憧れの人との接点を
もつことができたら、それがどんな形であれ、とても幸せなことだと思う。



「またこうやって一緒に食事をしましょう。一人で食べるよりも二人で食べた方がおいしいですし私も気兼ねなく
はいっていけますからね。」



例えそれが恋愛以下の関係であっても―・・それでもその人と共有の"秘密"をもてることはとても幸せなことだ
とおもう。



幸福に溺れてしまいそうだ。



                               *




では例えば―・・


例えばそんな関係が続いたとして・・
突然その人に"婚約者"が出来たと知ったら・・・・・



それでもその関係を続けることは"幸せ"といえるでしょうか?

それでもその関係を続けることがあなたにはできますか?







                                             進